2016年02月07日

女の民俗誌 - 宮本常一

 宮本常一の著作を何冊か読んで、これほどの膨大なフィールドワークを積み重ねて文章にまとめつづけた人がいた事実を、最近まで知らなかった自分が恥ずかしくなった。



 伝承の役割や村社会のまとめとして、あるいは農作業や漁業の担い手として、形はさまざまであれなくてはならない存在であるはずの女性というもの。世の風潮の変化や中途半端な近代化に翻弄され、その環境の変化のなかで虐げられる立場に追いやられることもしばしばであるその存在は、記録にすら残らず社会の隙間に埋もれていく。著者は多くの地方をまわり、人々の家にあがりこんで話を聞きながら、そんな風に埋もれているものを、掘り起こしていく。

 足入れ婚なども含む婚礼、共稼ぎ、見習い奉公、女工、人身売買(無知や貧困により外国へ売り飛ばされる)、女の相続、戦後の女性、島の女性風俗誌などについて、章別に読みやすい記録がつづく。

 興味深かったのはP.155からの「月小屋と娘宿」の章。

 月の小屋とは、月経期間中の女性が過ごすことになっていた小屋のことで、昭和10年代ころには各地にまだ名残があったという。血を忌むという考えが薄れつつあり、諸事情から生理期間中の女性が小屋に集まることに不都合が生じてきた近代以降、小屋はのちに産屋などに転用されることもあったが、やがてその目的としても利用されることはなくなっていった。

 やがて、月の小屋は「娘宿」となり、そこは月のものに関係なく女性が出入りして一緒に針仕事をするなど、地域の社交場のような役割を果たしていたようで、若い男性も集うことがあったらしい。

 こうした話は、滅多に文字の情報として頭に入れる機会がなく、これまでは想像するしかなかった。

 本書を読み、現代の女性が幸せかどうかなど、そういった短絡的な方向に話を結びつけるのは危険で乱暴なことと思う。多くの人々から聞きとった話や数字を淡々と並べていく文章には力強さがあり、知らないことが多すぎる自分に恥ずかしさを覚える。

 こんな風に生きてきた人たちの延長線上に、現代の人間は生きているのだ。勝ちとってきた権利、培ってきた人権の意識など、すべてがその結果なのだ。「あって当たり前」のものはひとつもない。現代の人間として、それだけは忘れてはいけない。

 最後に、P.269以降の「女の物語」について。

 島流しではなく、島から追い出される「地方流し」に遭った女性の話がある。不注意から家の商売に悪評を立ててしまった女性は、島から追い出されてそのまま行方しれずになった。数十年後、島外で偶然に出会った子孫に話しかけたとされているが、その後についてはわからなかったという。

 月並みな表現だが、とても印象的な話だった。
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戦下のレシピ - 斎藤 美奈子

 戦争でなぜ食糧(とくに米)が不足するか。戦地に送る米が必要だからというのは大きな理由とならない。著者によれば、兵隊が国内外のどこにいようと米を食う人口が増えるわけではないからだ。

 農業従事者の男性は戦地にとられ、女性は国内で軍需産業に従事することで生産が減る。また、当時は輸入や植民地からの米をあてにしていた日本の食糧事情が、戦争でじゅうぶんなルートが確保できずにさらに悪化したこと、そもそも第二次世界大戦の前に海外で不作がつづいていたこと、などがあげられる。物資の調達、運搬、分配といった(いわば)役所の仕事を、政府や旧日本軍が甘く考えていたところに原因があると、著者はP.176でまとめる。



 敗戦の年まで生き残った婦人雑誌(婦人之友、主婦之友、婦人倶楽部)から、戦況や食糧事情に応じて移りかわった料理レシピと食の工夫をページ下段に引用し、上段では著者の調べた当時の暮らしや風潮をつづっていく。体裁としてはやや読みづらいのだが、これ以外にどういう方法があったかと問われると、仕方ないのかもしれない。

 戦争がはじまってすぐのころは食糧事情も切迫しておらず、都市部ではイベント気分で戦意高揚料理、節米料理を楽しむ余裕があった。そのいっぽうで、白米は都市部に売り滅多に自分たちが口にすることがなかった農村部は、それ以前からのもともとの食生活が(都市部がその後経験していくことになる)節米料理であり、両者のあいだには経済的に大きな差が存在していた。その差が配給制度を機に縮まり、その後の戦況悪化で逆転していく。

 米は早くから不足して節米が呼びかけられていたが、小麦粉はそれに比較してある程度の余裕があったようだ。

 冒頭の再現料理カラー写真には「うどんかん」なる、うどんをミカン汁入りの寒天で固めた食べ物があるし、P.56の「興亜パン」は、メリケン粉に大豆粉、海藻の粉、魚粉、野菜などを混ぜてベーキングパウダーで膨らませる蒸しパン。配給制度が破綻の様相を浮かびあがらせるころ、米の埋め合わせとして小麦粉や麺類などが登場したことからも、それは想像できる。

 糯米のかわりに里芋のねばりを利用して、黄粉や黒ごま、青のりなどをまぶした「おはぎ」など、すばらしい発想に驚くのは事実だが、野菜を生で食べることを奨励する表現(加熱するとかさが減るためと、煮炊きする燃料の節約)、野草・雑草の類を食べつくさねばならなかった当時の事情がにじみ出る文章には、体が震える。

 P.160には、軍の意向かもしれないが、こんな文章があった。「高野豆腐は生で食べられる。これこそ日本古来の立派な乾パン、ビスケットです」(川島四郎大佐/主婦之友 昭和十九年五月号)

 雑誌はたくましい。敗戦のころは藁半紙のような粗悪な紙で内容も薄かったと聞くが、書きつづけたことそのものが驚異だ。検閲があったため国策に反することは書けなかったのだろうが、当時の雑誌を作っておられた方々は、どんな思いで仕事をつづけていたのだろう。ご存命の方がいらっしゃれば、話を聞いてみたい気がする。
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宮廷料理人アントナン・カレーム - イアン・ケリー著/村上 彩訳

 セーヌ左岸の掘っ立て小屋で、貧乏な家に25人兄弟の16番目として生を受けたアントナン・カレームは、およそ10歳のころ、文字通り親に捨てられる。

 雑踏に彼を置き去りにした父親は「根性さえあれば、運をつかんで出世できる」という無責任な言葉を投げかけたとされるが、実際に息子はたくましく生き延び、菓子職人そして料理人としての名声でパリの頂点に立った。政権が交代しても権力の座に居座った美食家タレーランに重用されたおかげでその名はヨーロッパ諸国にもとどろき、ロシアの宮廷やイギリスの王室に招かれて腕をふるった。



 だが彼は金よりも名声よりもパリを愛した。現役からしりぞいても自分の存在した証が長くつづくことを望んで、後年は執筆活動に多くの時間と労力を費やすようになる。誘いを受けてもパリを離れたがらず、やがてコレラの蔓延したパリを嫌って周囲の人の足が遠のいても執筆をつづけ、体調を悪化させていった。体調不良の原因のひとつは、換気がじゅうぶんではなく熱源が木炭であった当時の厨房の環境に、長くひたりすぎたためと推測される。

 娘に看とられての最期だったが、ある理由により娘は彼の生前の手紙類をほぼすべて処分した。墓の所在すら、長いこと人に知られないままだった。そのせいかどうか、料理界に与えた影響や残した書物に比較して、人物としてのアントナンが語り継がれることはさほどないように思う。

 本名をマリー・アントワーヌ・カレームという。男性であるが、政治的判断力がない父親により、世の人々が王室に愛着や忠誠の心を持たない時期にマリー・アントワネットにちなんだ名前が付けられたためと言われる。本人は「アントナン」という名を好んで使っていた。

 スラムの生まれでも独学で読み書きを学び、仕事のあいまに図書館に通って菓子や料理のみならず古代建築の本を読みあさった。彼の死後も百年近く残っていたものがあると言われるピエスモンテ(飴細工などを使った食品が原料の工芸菓子)の技術も、そうした勉強と努力の産物だろう。

 文中には歴史的な日に彼が用意した料理のメニュー紹介があり、巻末にはレシピがまとめられている。

 欲をいえばもう少し人物像を掘りさげてあればと思うが、日本語での類書がほとんどない状況なので、この本の存在は貴重と考える。
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2015年12月09日

ミツコと七人の子供たち - シュミット村木眞寿美

 わたしがクーデンホーフ光子(青山みつ)について本を少なからず読むようになったのは、何年くらい前だっただろうか。この本の著者シュミット村木眞寿美氏のものは、これで二冊目だったと記憶している。もとはといえば70年代に大和和紀のコミックでレディー・ミツコという作品があり、日本からヨーロッパに渡った女性の存在だけは、ずっと気になっていた。

 活字としてまとまった形で読んだのは中でも定番とされている「クーデンホーフ光子伝」が最初だったと思うが、これに不満があった。そのため、ほかに本はないかと、何年もずっと読む機会を狙っては、ときには積ん読し、ときには貪るように読みながら、現在にいたる。そして今回の「ミツコと七人の子供たち」は、書名から受ける軽い印象とは異なり、もっとも重く、もっともわたしの思いをかき立てるものとなった。

 最初に読んだ定番の「クーデンホーフ光子伝」において何が不満だったかというと、視点がかなり偏っていて、日本から出てヨーロッパに渡った女性が汎ヨーロッパ主義の(思想面での)礎となったという、その点に話題を集結させようという意図があまりに強かったためだ。最後のほうは多くのページを割いて汎ヨーロッパ主義を説いた次男リヒャルトの記録や物語となっていた。わたしにしてみれば、冒頭でさらりと1回のみ語られた「日本から同行した乳母ら」がどうなったのか、何年くらい経過してからミツコは周囲に日本人のいない環境でさみしさを感じていたかなど、そういった“普通の人が疑問に思いそうなこと”の欠如に耐えられなかった。



 シュミット村木眞寿美氏の作品「クーデンホーフ光子の手記」は、ミツコが夫の死後に思い立ち、子供たちに父と自分の話を伝えるため思い出話を(娘らの力を借りて)口述筆記した手記を著者が発見、図書館で音読し、録音して持ち帰ったものを編集して日本語訳にしたものだった。ミツコが語りたい美しい思い出にあふれ、つらかったであろうことや、東京の親族と夫のあいだにあったであろう確執や金銭のやりとりは、まったく残されていない。そして本作において、著者はミツコや子供たちが存命であったときを知る老人たちに取材した模様、日本に残る縁者の方との出会いと交流、ミツコの最愛の夫にずっと仕えていたアルメニア人の従僕バービックの孫との対面など、さまざまな角度からミツコの晩年や子供たちの(多くの場合はつらく悲しい)運命について、克明に、あるときは残酷なでに綴っていく。

 著者の本をこうして二冊読んでみて、そして、わたしは労せずに読んでいる立場であっても、ミツコに関してわたしや著者を動かしている思いは通じるところがあるのではないかと考えるようになった。一読者であるわたしがこれを書くのは、たいへん失礼なことであるかもしれない。著者はわたしと同様「普通の人が異国の地で、身分も違う慣れない立場で、現地にひとりぼっちだったらどんな暮らしをしていたのだろう」という純粋な思いが最初はあったのだろう。そうするうちに本人の思いに踏みこまず状況の判断から「こうであったに違いない」と決めつける他書の見解などを見るに付け、自分がもっと知りたい、自分がもっと掘り下げたい、そして自分のような考えの人にその掘り下げたものを見てもらいたい−−そうした強い思いに駆られて書きつづけた二冊だったのではと、思わずにいられない。

 著者が自分の娘たち(ドイツ語ネイティブ)に資料の判読と整理を頼んで、あげくに投げ出された描写が興味深かった。ミツコが晩年になって極端な国粋主義に走ったであろう時期(日本に帰れないことは若いうちから覚悟していたものの、齢を重ねて「自分の故郷は素晴らしかった」と美化するあまりに、自分の子供たちから話も聞いてもらえなくなったであろうころ)の文章で、著者の娘らはミツコの子供たちと同様に「もう、やらない」とうんざりし、拒絶したということだった。自身も母である著者は、ミツコが大昔の日本しか知らずにいても極端に自慢してしまう、美化しすぎて凝り固まったことを言ってしまう気持ちが理解できる気がしており、さみしさやいろいろな要因から文章や態度に出てしまったのであろうと推測したが、自身の娘らには、それが通じなかったとのこと。

 長く外国に暮らす著者自身の環境や、母であることなどが、著者とミツコをつなげているのかもしれない。それを考えてもなお、やはりすさまじいまでの集中力と行動力である。もし今後も著作があるのであれば、そのときはぜひ拝読したいと思っている。
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2015年03月04日

アメリカ南部の家庭料理 - アンダーソン夏代

 アメリカ南部の家庭料理の本と言葉で聞くと連想するものが人それぞれかもしれないが、いわゆるフライドチキンやバーベキューのような代表格のみならず、ゆで野菜やシチューのような煮込み、そして肉に限らず魚の揚げ物などバラエティに富んでいる。



 とにかく画像がきれいで驚く。そして著者が日本人で日本語の本である関係上、食材や入手方法、日本で手にはいりにくい場合の代替え品の解説などが細かく記載されていて、かなり読みやすい仕上がりになっている。

 アメリカは国土が広く、北東部のニューヨークやボストンに見られるような初期のころからイギリスの影響が強く残る地域とはまた異なり、南部にはたとえば黒人の文化とフランスの文化が融合したクレオール(おもにルイジアナ州ニューオリンズに見られる)や、スペイン語文化圏であるメキシコと国境を接したテキサス州など、さまざまな多様性が見られ、当然のこととして食もまた幅広い。それらを適度な量の一冊にまとめ上げて紹介する本の存在は、とてもありがたい。

 全体の構成は、おおまかに…
○ 前菜 6種
○ スープとサラダ 6種類
○ サイドディッシュ 9種類
○ メインディッシュ 14種類
○ ローストチキン 3種類
○ パンとビスケット 4種類
○ デザート 5種類
○ 朝食とブランチ 7種類
○ 飲み物 4種類
○ 基本その他 7種類
○ 献立例 6種類
○ ほか、読み物
…と、なっている。

 わたしが実際に作ったのはP.90の「南部風フライドフィッシュ」だけだが、適度なサイズの海老をハーブの衣で揚げたP.22の「ケイジャンポップコーン」も、ぜひ作ろうと思っている。
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