2018年03月21日

ニッポンの肉食 - 田中康宏

 マタギや狩猟、野生動物の食肉への加工の話題にはずっと関心があり、これまで何冊か読んできたが、どれも感慨深いものだった。本書を読み終えたあとになって、著者紹介の欄を見てようやく「女猟師」の著者であったことに気づいた。あれも感慨深い作品だった。わたしがこうした本を好むようになったきっかけの一冊だったように記憶している。もう一冊は内澤旬子著「世界屠畜紀行」だ。



 第一章では、日本人の食べてきた肉について。
 日本人は古来から肉を食べていた。よく言われるような、かつての日本は仏教の教えで肉を食べなかったというわけではなく(なぜなら仏教は殺生を全般的に禁じているのであって、牛や馬など四つ足を食べてはいけないが魚や鶏はよろしいと言っているわけではない)、その時々の人々により食べ物と見なされた生き物は、食べられていた。たとえば明治以前に多くの人にとって牛や馬を食べる習慣がなかったのは、それらが使役動物として有用であったためだ。生きているうちは農耕や運搬をさせ、死ねば弔ったからであり、食べ物ではなかった。著者のこうした説明には、大きくうなずかされる。

 第二章では、牛肉の種類や概要、銘柄和牛と国産牛はどう違うのか、効率よく肥育化させようとする過程で世界的な社会問題となってしまった狂牛病などについて、牛に多くの言葉を費やしつつも、それ以外の畜産肉(豚、鶏、羊、山羊、馬など)についても紹介。
 そして日本における狩猟の概要と必要な届け出の説明、狩猟で得られる肉にどのようなものがあるか。そして美味なのか、臭くて食べられないのか、一部の条件下においてならば食べられるのか−−マタギによってまったく意見の違う「狸の肉」を実際に食べてみた、その感想とは。

 第三章では、食肉加工処理についてを解説。実際に現代の人間が食べている食肉の加工処理施設は見学も可能なことが多いが、著者は古くからある肉屋での作業について、そして狩猟の現場で獲物を仕留めた直後におこなわなければならない血抜きと内臓除去についても、実際に現地で取材したまま、丁寧につづる。

 かつてアニメーションなどでよく話題になった原始人肉(骨のまわりに肉がついていて、かぶりついて食べる)は実際に作るとしたらどう調理するのか、そもそも部位としては動物のどこなのかなど、文章のいたるところに著者の肉への情熱があふれている。

 なお、わたしはP.82以降のクマの欄で1915年に実際に北海道で起こった三毛別(さんげべつ)事件が気になり、ネットで調べてみた。死亡しただけで7人。怪我を含めればかなりの人数が被害にあった人食いヒグマ事件である。冬眠しそこねた巨大な羆が人肉の味を覚え、最初は偶発的な襲撃だったがそのうち狂気に満ちて昼間でも人家にやってきたという恐ろしい事件だ。本も何冊か出ているようなので、ぜひもう少し調べてみたい。

 同著者の本で「山怪」というのも人気だそうだ。
 わたし自身が山育ちのせいか、不思議と山の話にひかれる。
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2018年03月18日

東京23話 - 山内マリコ

 東京が好きである。だがずっと住んでいても知らない場所や気づかない情報が山ほどある。人の目と脳は、出発地と目的地のあいだをただの風景として認識してしまうことが多いのだろう。だがそこには人がいて、生活がある。何かに気づくことができたら、そこから楽しみが無限にひろがる。



 東京は広い。そして人が多い。たとえ近隣の区であっても日々新しい発見がある。すぐ近所の道だというのに、数年のあいだ横目で美容室か洋品店だと思っていた店が、実はパン屋だったと気づいて自分に苦笑したのは半年前だった。そして、閉じてしまった店の跡地が更地になっているのを見て、何屋があったか思い出せないのは日常茶飯事だ。

 この本を読もうと決め、まず目次を開いた。23区と、特別参加の武蔵野市(言わずと知れた吉祥寺がある市)が、それぞれ擬人化されてひとり語りで生い立ちを語る構成だ。

 文京区は文豪の街として「吾輩は文京区」と語り、江戸時代には陸地のほうが少なかったが現在ではウォーターフロントを自認する江東区は、都市博が中止になったことで青島元知事に恨み節があるようだ。大田区と言えば羽田。アメリカの占領軍に48時間以内に出てってくれと追い出された住民と、有名な大鳥居の逸話。石井桃子氏がくまのプーさんを翻訳するきっかけになった杉並区の旧犬養毅宅にゆかりの「かつら文庫」は、現在も児童図書館として土曜日の午後に開館している。
 旧古河庭園などを設計したジョサイア・コンドル。実は荒川が流れていない荒川区。かつてはたくさんの人々が住んでいた、高島平の団地で知られる板橋区。中野区と言えばブロードウェイ、などなど。

 どれも楽しく、わくわく読んだが、唯一の例外は23区の最後にあった江戸川区だ。日本インド化計画ということで、漢字以外の部分をカタカナで書いていた。読みづらいし、読みたくなかった。外国人のたどたどしいしゃべりをカタカナで表現するというのは、いまどきどうなのか。

 23区はさすがに広すぎるので、杉並、中野、練馬など3区ずつを単位にした本でもあったら、読み応えがあるのではないかと思う。まるで選挙区のようだが、東京のことだから、3区ずつくらいであっても、分量としては1冊の本にうまくまとまるだろう。
posted by mikimarche at 21:55| Comment(0) | 実用(歴史・文化)

2018年02月08日

発達障害 - 岩波明 著

 以前に読んだ中野信子著「サイコパス」も文春新書だったが、本書「発達障害」などのタイトルは、店頭で見かけるとどうも通過できない。手に取るううちに、そのまますっとレジに向かってしまう。もしや、わたしも本書内で言われるような「自分も発達障害かもしれない症候群」(自分の「空気の読めない」ところに病名などの原因を求めたがる人々)のひとりなのかもしれないと、苦笑してしまう。
 著者は医学博士であり、専門は精神医学である。いわゆる学者(教える立場)という立場からのみならず、臨床研究の現場に根ざした観察眼で、一般人にもわかりやすい言葉を使って発達障害を語っているのが本書だ。



 まずは章を分けてASD(自閉症スペクトラム障害)、ADHD(注意欠如多動性障害)、両者の共通点と相違点を説き、さらに映像記憶、共感覚、学習障害や、いわゆる「天才」の解説へとつづく。後半から終盤に近づくにつれ、社会を騒がせた近年の未成年犯罪とそれを語る際に安易に用いられた「アスペルガー症候群」という言葉、さらに発達障害と犯罪の事例、発達障害を社会受け入れていくため現状で実践されているケア紹介、発達障害とどう向き合っていくかの今後の方向性をつづっていく。

 とても読みやすい構成だ。急いで読むと、ところどころ障害の名前(略語)などで頭が混乱しそうになるが、かたい話のあいまには近代のよく知られた有名人の生い立ちや人物像(現在もし生きていたら障害に分類されていたのでは)といった、やや軽い文章がつづられ、メリハリが利いている。

 P.116からの「シネステジア」(共感覚)の章を、とても面白く読んだ。外部からの刺激に対して通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚も同時に生じる現象」という定義がなされているそうだが、本書によれば「文字に色を感じる」、「音に色を感じる」、「形に味を感じる」といった、子供のころに多少は経験した人もいるのではないかと思われるような現象だ。少なくともわたしは理解ができる。
 子供時代ならともかく、大人になってからこれを語ってはおかしい人と思われてはいけないからと、口に出さずにいる人もいるのかもしれないと、そんなことに思いをはせた。
posted by mikimarche at 22:00| Comment(0) | 実用(社会・事件)

2017年11月17日

ジョブズの料理人 - 日経BP社出版局(編集) (著) / ‎ 佐久間俊雄(取材協力)

 序文と前半のごく一部を読んだまま、忘れて積んでいた。何年くらい経ったのか、昨日ちょっとした積み替え作業のとき上のほうに出てきたのでパラパラとめくるうち、半日で読み終えてしまった。題材も興味深く、内容もまたつまらない本ではないのだが、なぜこんなに時間がかかったのか。

 おそらく、インタビューに基づいた記事をご本人の語りかけ口調で再構成した文体が、わたしの好みに合わなかったのだろう。その構成は冒頭で断り書きがなされていたが、どうしてもところどころで、ご本人と錯覚しそうになっては踏みとどまることがあった。



 アップル創業者のスティーブ・ジョブズが懇意にしていたすし職人、佐久間氏へのインタビュー記事である。奇しくも氏にとって大きな節目であるはずだった2011年春に日本で東日本大震災が起こり、おそらくはそういった状況の変化が遠因になったのだろうが、氏が予定していた新たな計画が実現を目前にしながら終了してしまった。そのころ、病と闘っていたスティーブ・ジョブズが、氏を案じて温かい申し出をしてくれたという。
 その話が実現されることはなかったが、ジョブズが亡くなってほんの二日後に、彼が足繁く通った佐久間氏の店もまた、閉店の日を迎えた。

 インタビューはその後まもなく、絶妙なタイミングでおこなわれたものだった。発表されて反響を呼んだのち、細部を掘り起こして書籍化となったようである。

 シリコンバレーの黎明期にスタンフォード大に近い場所で店を開いた佐久間氏の店は、インターネット関連企業のバブルに乗って安定した客足を得ることができたが、有名人だからと特別扱いすることもなく客は客として接した氏の人柄がかえって功を奏したか、IT企業ほかさまざまな分野での人脈にも恵まれた。円高で日本からの仕入れに苦労し、質のよくないものを無理に使って通常の味が出せないならばとメニューを工夫や削減しながらも、実直に店を守りつづけた。

 ジョブズの人物像やIT産業の話として、ファンも面白く読めるかと思うが、日本の食文化の海外進出の話として読んでも、楽しめると感じた。
posted by mikimarche at 23:20| Comment(0) | エッセイ

2017年07月13日

まるまるの毬(いが) - 西條奈加

 将軍家に仕えた旗本の家を自らの意志で出て町人となり、若くして諸国を修行した菓子職人の治兵衛。苦楽をともにした妻は旅の途上で病に倒れたが、残された娘とともに江戸へもどり、諸国の菓子を庶民にも手の届く価格で提供する「南星屋」をはじめた。



 菓子作りから店のこと、そして諸国の菓子の資料までそらんじているしっかり者の娘と、客さばきに長けた孫娘の三人で切り盛りする店をそっと見守るのは、治兵衛と同じく旗本の家を出て身分の高い僧となった弟の五郎。

 珍しすぎる菓子を商ったばかりに九州の大名から門外不出の菓子製法を盗んだと疑われた「カスドース」の回にはじまり、娘のお栄とかつての亭主との再会、孫娘お君の恋心を描きながら、治兵衛と五郎の実家である旗本家の現状やさまざまな人間模様が描かれる。

 心をこめた菓子の描写でなごんだ気分になりながらも、世によくある人のねたみや、ちょっとした思惑のために、治兵衛ら登場人物の幸せにひびがはいる。大切にしていたものが崩れて、何人もが涙を流したとき、やがて雪解けのように明るい日の光が見えて、話が終わる。

 店の主である治兵衛の境遇がやや特殊すぎないだろうかという思いもあったが、そもそもそれがなければ成り立たない話であり、仕方のないことだったかもしれない。

 まったく存じ上げない作家さんであり、先月の急な土砂降りで雨宿りのためはいった書店で見かけたというだけの文庫本ではあったが、よいものを読ませてもらった。こんな巡り合わせに、感謝している。
posted by mikimarche at 22:10| Comment(0) | フィクション