2020年11月28日

痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学 - 牧野雅子

 警察官出身の著者による、膨大な資料に基づいたデータと考察である。



 実は、時間がかかった。前半はともかくとして中盤で気分が悪くなり、2月に読みはじめてから半年以上も、読むのをやめてしまった。だが勇気をふるって最後までたどりつき、なかなか素晴らしい本と思いつつも、あとがきで著者みずからの経験を読んで、ふたたび打ちのめされた。

 年齢や性別を問わず、いやあえて言うならば中高年以上の男性にはとくに、読んでもらいたいと考える本だ。

 痴漢は許されない犯罪である。だが日本では80年代〜90年代はとくにだが、まるで男性の興奮のネタのように週刊誌に面白おかしく特集が組まれ、痴漢(しやすい)スポットや体験などが載っていた。なかには女性らに体験を語らせる企画もあった。それは被害者目線ではなく特集の趣旨にあった内容だった。著者も具体例や引用を多く書いていて、わたしはそのあたりで気分が悪くなってしまったのだが、その原因は、内容だけではない。

 60年代中盤生まれのわたしは、記憶しているのだ−−そういった雑誌や、おもしろおかしく語る風潮が実在したことを。そして多感な時期から20代が終わるころまで「なぜこんな二重世界(一部にとっておもしろおかしい、逆の側にとっては苦痛でしかない)が存在するのだろう」と、ずっと考えていた。

 それが「馴らされてしまっている」ということなのだと、30代になったあたりから、ぼんやりと感じられるようになって、無力感につつまれた。

 たとえば、社会の多くが、具体的かつ深刻な性犯罪でもなく「さわられたくらいで」と思っていれば、言うだけ損という感覚、しかも「いちいち言えば好奇の目にさらされるのだ」という具体例が、当時に若かった人たちならば、やまほど思い浮かぶのだ。いまもあまり変わっていないかもしれないが、当時はもう、ほんとうにひどかった。

 さらに、怒ったところで「女性がへたに騒いでも、初犯の出来心かもしれないのに相手の家族(女性も含む)が、泣いていいの?」という、妙な理屈も頻繁に登場。言葉を発するほうは、なんらかの言葉を使って被害を表沙汰にしないであげてほしいという程度からこねくりだした表現かもしれないが、言われる被害者側のほうには、ずっとこの概念が、普段の暮らしにまで刷りこまれてしまう。次も、また次も。そして長く苦しんだあとに「ここまで我慢したのならなぜ最初に騒がなかったのかと、きっと言われる」と、自分で自分をさらに縛る人も出てくる。

 実際問題として、相手(加害者)に気を遣う必要はない。初犯かもしれないと大目に見るのは、自分の次の段階(たとえば警察や検察などの公的存在)が考えればいいのであって、実際に初犯なのか出来心なのかを被害者が考えてやる必要はない。ついでに言えば、出来心とは、ふざけた表現である。

 自分がされたことは、事実として記録に残す。その先のことで誰かが(たとえば加害者の家族が)傷つくかどうかは、傷つかないように情報管理を徹底させるなど、被害者以外が真剣に考慮し努力すべきであって、被害者はただ、自分に正直にあるべきだ。公にしたければする。それは被害者にまかされている。

 以上は、本を読んでの感想であり、わたしの言葉だが、ぜひ、内容がつらくても、読み終える人たちがいることを願っている。

 データは雄弁に語る。章ごとに羅列されている参考資料の数は、類書などにくらべて、かなり多かったと書き添えておく。
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2020年08月24日

43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層 - 石井光太

 2015年に、日本に大きな衝撃を与えた事件(10代の少年らが13歳の中学生を河川敷で殺害)があった。それは深夜に子供が顔見知りの少年らにより重傷を負わせれながらも川で冷水に浸かるよう強要された上、そののちも、刃物を含む肉体的な暴行を受けて失血死したというショッキングなものだった。

 本書は、被害者側ではおもに実父への取材、そして加害者側や当事者を知る人々への取材と裁判記録から、事件の奥にあるものを丹念に剥がすようにつづった記録である。



 それぞれの少年に共通していたのは、家庭や学校に居場所がなかったこと。そして友情ではなく、ひとりで時間を潰すよりはましだからとの思いから、つねに誰かとつるんでいたこと。

 それぞれの家族や家庭。学校での居心地の悪さやいじめ。そして非行事実の発覚で子供らの異変に気づくチャンスが何度かあっても、多くは高齢のボラティアに頼らざるを得ない保護観察制度の限界からチェック体制が形骸化し、実際にはほぼ誰も救われていかない現実。

 誰それがそのときこうしていれば被害者が殺されずに済んだ、あるいは何かのきかっけがあれば、加害者らがそこまで暴力に走らなかったと言えるような、そんな単純な要素はどこにもない。

 文中では仮名を多用しているとはいえ、やはり加害者側も含めて家庭の事情などががかなり記載されているため、以下をはしょって書くことを、お許しいただきたい。

 事件現場を地元として育った被害者の父によればだが、親が外国人で見た目がハーフの子は川崎にめずらしくない。ちょっと体罰を受けた経験くらいでは、子供が人を殺すことはない。被害者、加害者の境遇も、川崎という土地も、何かとりたてて特別だったというのではなく、何か理由をつけて誰かを排除したいときの、いじめの口実に使われた要素が、それだったという。そうした運が悪いことが重なって、息子は命を奪われてしまった−−。

 加害者個々人への恨みは強く抱いているものの、事件全体への思い、そして命を奪われたのがなぜご自分の息子さんだったのかについては運の悪さであったと、被害者父はそこに考えを落ち着けている。

 最後まで読めば事情もわかるが、著者は被害者側の家族としては父親の取材しかできていない。それ以外は公判での発言などに基づき記載している。前半ではそれについて「なぜだろう」と首をかしげたのだが、読み進めていって、合点がいった。

 多感な時期に子供が感じやすい疎外感、居場所のないつらさ、いじめなどに対し、すぐに効き目のある対策は存在しない。今後も子供たちが被害者または加害者になる事件も、残念ながら存在することだろう。

 その「今後の悲劇」を、ひとつでも減らすのに役立つならば、曖昧で不正確な情報のまま事件を風化させせず、発生から数年後で関係者の傷をえぐる危険性はあるにせよ、冷静なまとめとして、本書のような存在は必要であると、わたしは考えている。
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2020年01月23日

Black Box (ブラックボックス) - 伊藤詩織

 内容がつらそうに感じたため、読む勇気は出ないと思っていた。だが先日の民事訴訟で著者の伊藤氏が勝訴となり、その影響なのか、たまたま電子書籍版が定額読み放題のラインナップにはいった日があったので、ダウロードしておいた。

 数回に分けて、ようやく読み終えた。



 少女時代のこと、そしてジャーナリストを志して外国の大学で学ぶ日々が綴られたあと、2015年のその日が語られる。
 合意どころか、そんなことをする間柄とは思っていなかった人間により、一方的な性行為がなされた。

 その日のことはもちろん憤ろしい話である。だがその後のことは、さらに過酷だ。

 直後は自身の状況すら理解できず、前日の夜間から早朝まで数時間の記憶は現在でも失われたままだ。パンツぐらいお土産にさせてよとうそぶくふてぶてしい男に、著者は利用された。しかも経緯が不明な、出血をともなう怪我もあった。妊娠や動画撮影された可能性にもおびえつつ、自分をとりもどすために、被害届を出した。

 男性だらけの警察署で説明を何度も何度もくり返したあげくに、加害者を想定した人形まで使って事件の再現をさせられた屈辱は、読んでいる立場でありながら、叫びたくなるほどだった。仮にその再現が必要であったのだとしても、女性警察官の立ち会いもないとは、いったいどういうことなのか。

 数ヶ月以上の屈辱と、くじけそうになる心と、そして長いあいだ継続していた膝の痛みを乗り越えて、ようやく逮捕へと話が進んだ。そのまま逮捕がおこなわれていれば。話は少しは違う方向に進んだかもしれない。だがたったひとりの人物(警視庁の上層図)により、逮捕は見送られる。

 法の下ですべての手続きが順調に運べば、顔を出して会見する必要すら、なかったかもしれない人物である。
 人前で訴えねばならない状況に追いこまれたその人物が、心ない人々により中傷され、たたかれている。

 真実を知りたい、泣き寝入りはしないとの信念からはじまったことだが、もはや、著者ひとりの闘いではない。ご自身の分以上に、結果として世間の女性を背負ってしまった。

 ご家族とは話し合いを重ね、顔を出しての会見では強く反対をされたものの、言い出したら聞かない性格だからと、消極的な了解を得た。多感な年頃の妹さんとはうまくいかなくなってしまったが、自分以外の誰かが同じような目にあったらという思いもまた、著者を動かす力のひとつになっている。事件の当初から相談にのり、家に泊めてくれもした知人ら。話を聞いてくれた同僚や弁護士、助言をくれたジャーナリストなど、多くの人たちが力になってくれているが、著者の闘いは、つづいていくのだろう。
 
 著者の強さと、勇気に、心からの敬意を表する。
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2019年06月25日

男が痴漢になる理由 - 斎藤章佳

 なんとも、すさまじい内容である。

 男の自分勝手な理屈(痴漢や性犯罪行為の大部分は男性が加害者であるため、語弊はあるかもしれないが「男」と書かせていただく)と、それを長きにわたって許してきた社会は、そうとうな部分まで病んでいるといわざるを得ない。



 声をあげられない被害者を自分に気があると勝手に妄想する男。短いスカートで出かける娘に大丈夫かと声をかける家族−−悪いのは襲う方であるという視点が抜け、服装で性犯罪の被害リスクが高まるという誤った通念にどっぷり浸かっていて、なかなかそこから抜け出せない。家族ですらそうなのだから、被害に遭った一般の女性らに「そんな服だから」などの、落ち度があるような発言をする人があとを絶たないのも頷けよう。

 著者は性犯罪の再犯を防ぐためのプログラムを用意したクリニック(通所やプログラム参加には強制力を持たないが、医師が関与し一部は保険適用のもの)にお勤めの精神保健福祉士である。

 政府も多少は性犯罪の再犯防止に努力をしはじめたようで、全国の刑務所のうち19ヶ所では専門の教育プログラムを設けているそうだ。だがそれは長期の収容が決定している受刑者向けであり、短期の受刑者にはそういった教育がほどこされない。
 しかも著者によれば、日本の現状としては初犯は示談などで起訴されないことがままあり、数回目の逮捕でようやく裁判になる傾向が強いという。ここで重要なのは、初犯の定義は犯罪が1回なされたかではなく「逮捕されたのが初回かどうか」である。複数回の逮捕で起訴や裁判になるというのは、そのあいだに「ばれていない犯罪が何回あるかわからない」ということを意味する。
 それならば、初回からすでに示談があった場合でも教育プログラムを必須とするように制度の変更があるべきだと、著者は指摘する。

 周囲からの強いすすめでクリニックに通所する男たちの、言い訳はさまざまである。ストレスがあったからとか、ほかにもやっている人がいるとか、ちょっと触ったくらいでなんだとか、言いたい放題だ。だが中でも目を疑ったのは、逮捕されて痴漢ができなくなったのち、あなたの人生から何が失われたかという問いに、複数が「生きがい」と答えたという場所だった。

 人を踏みにじる行為をくり返し、それを生きがいと呼ぶ神経は、ほんとうに理解できない。

 本書は加害者の家族(そんなことを夫や息子がしていたと知らずにいて世間からバッシングを受ける)の話題も含めて記載している。描かれている加害者たちの話はひどい事例が多いが、本書のものは頭にはいりやすい。
posted by mikimarche at 00:20| Comment(0) | 実用(社会・事件)

2019年02月07日

オカルト・クロニクル - 松閣オルタ

 ロシアで1950年代に大学生9人が不可解な死を遂げたディアトロフ峠事件というものがあるそうで、最近ネットで話題にしている人がいた。検索をしてみたところ本書の著者が運営している同名のサイト「オカルト・クロニクル」が見つかり、いくつかの事件を読んでみると文体は軽快なのにきちんと筋立てて書かれており、なかなかおもしろい。書籍版には書き下ろしの事件もはいっているということで、購入してみた。



 まず最初に読んだのは後半のほうにあったファティマの預言である。幼少時からの聞きかじりで内容を把握しているつもりだったが、なんと預言は月に1回ずつ7回にもおよび、最後の回は大勢の人々が埋め尽くす場所に何らかの光る現象が現れたそうだ。当時にiPhoneがあったらさぞかし素晴らしかっただろうと不謹慎なことを書いてしまうが、こうした多くの人が「知っているつもり」の話にも、丁寧な解説と独自見解がつづられている。

 つづいて読んだのは赤城神社の女性行方不明事件。これは書き下ろしだ。以前に行方不明から数年の段階でテレビ番組「テレビのチカラ」に取り上げられたことがあり、わたしも内容はよく覚えていた。オカルト・クロニクルというタイトルの本に収録されるような意味での事件なのかと、購入前に目次を見て考えたが、本書はいちおう事件の最後に(オカルトやUFOを含む)さまざまな見解を書くのがお約束になっているものの、全体としては不思議な事件を掘り下げて書くスタイルであり、「不思議な事件をまとめた本」というくくりである。関係者からテレビで放映されたリマスター済みのビデオを見せてもらうなど、軽い意味でのブロガーとは一線を画した取材姿勢がすばらしい。

 世間を騒がせた岐阜県の団地におけるポルターガイスト事件など、さまざまな方面からの事件を15件掲載する。いくつかサイト上で読んでみて雰囲気をたしかめてから書籍購入をするのもよいかと思う。

 川口浩探検隊、矢追純一のUFO番組、ユリ・ゲラー、新倉イワオや宜保愛子の番組に染まって成長してきた中高年には、なかなか味わい深い珠玉の一冊となっている。ついでに書くが「うしろの百太郎」は大人になってから集めなおしたほど好きだった。

 ところでわたしがこの本でギョッとしたのは、おそらく著者が予想もしていなかった部分である。著者にとってはあたりまえすぎて、何気なく書いた文章なのだろうが、福島県の便槽で男性の遺体が見つかった事件、そして東電の女性社員の殺人事件にそういう話があるとは、まったく知らなかった。気になる方は検索をしてみるとよいかもしれない。まったく予想しない場所から、自分の知らない世界がひろがっていたことに気づくのもまた、ちょっとした恐怖体験といえるだろう。
posted by mikimarche at 23:30| Comment(0) | 実用(社会・事件)