2019年09月16日

新にっぽん奥地紀行 〜イザベラ・バードを鉄道でゆく - 芦原 伸

 わたしの大好きな書であるイザベラ・バードの「日本奥地紀行」は、100年以上も前に日本を旅した英国人女性の体験記である。横浜から東京、日光まではそこそこに順調であった旅も、まだ大規模な鉄道網も完成する前の時代であり、以降の道のりは苦難を極める。だが彼女は楽な旅をするために来たわけではなかった。すでに40代後半であり、若いころに病弱であったため転地療養をきっかけとした旅の記録をイギリス帰国後に出版するという、いわばプロの旅行家だった。

 道なき場所を分け入るようなゆっくりとした移動、そして荒天や災害により数日以上も僻村に足止めといった状況や、衛生面での問題や食生活での数々の苦難を乗り越え、バードは北海道でアイヌの人びとと交流をし、言葉も取得しようと多くのメモをとった。
 当時は多くの日本人がアイヌを蔑んだり、政策的にも不条理なことを押しつけて苦しめていたが、当時のヨーロッパの考えとしてはアイヌは白人系という説もあったそうだ。まだ誰も知らない地(日本)の、その隅に押しやられている(白人系かもしれない)アイヌを、誰よりも早く記録しておきたいといったプロの旅行家の熱意があったのかもしれない。
 その後、帰京ののちにバードは西日本にも足を伸ばしたという−−もっとも、日本語で広く普及している本は、東北と北海道以外が割愛された版を底本とした抄訳であるため、わたしも西日本に関しては未読である。



 さて、本書はバードが順調なときでも1日30キロ程度かけてゆっくりと移動した足取りを、できるだけ鉄道の各駅停車で、それが無理ならばタクシーなども併用しつつ、3年かけて回った記録である。旅と鉄道という雑誌で連載されたものをまとめたとのこと。

 バードの時代に描かれた風景や、人びとのつましい暮らし、衛生面では閉口させられつつも、人の心がきれいだったころの描写と、現代の鉄道の旅や現地での交流が、交互につづられる。取材に同行した若いスタッフを現代のイトー(当時の通訳であった伊藤鶴吉)になぞらえつつ、道中をおもしろく語っていく。

 それにしても、バードに日本国内を自由に移動できる通行手形を出した横浜の英国大使との関係や、日本各地にいる英国国教会ゆかりの人びととの交流を、ある種の諜報活動のような意味合いでとらえることは適切かと考えつつ筆を進める筆者には、それが妥当であるかどうかよりも「ああまったく考えてもみなかった」と、新しい視点をもらった気がした。

 本書を読むまで知らなかったことだが、イギリスで最初に出版されてのち、バード自身の手により編集されて短くなった版など複数が存在しているとのこと。西日本に言及しない普及版が出ているのは、わたしが以前に読んだ平凡社ライブラリーのものがそうであったため想像していたが、内容の最後のほうを割愛しただけではなく、その本は描写が短め版だった可能性がある。バードが新潟で街を歩き買い物をした話は読んだ記憶がないが、ほかに出ている完全訳のほうには、それがあるらしい。

 原著は著作権が切れているため、以前から英語で原文をダウンロードしてあるが、やはり日本語で完訳版が手にはいるようであれば、また読んでみたい気がした。
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2019年07月05日

もしも魔法が使えたら 戦争孤児11人の記憶 - 星野光世

 発売当初からずっと、いつか読むと心に決めてAmazonのウィッシュリストに入れておいた本。8月の終戦記念日より前に読み終えておきたいと、順番を繰り上げた。
 ある日突然に親や家族を失い、親戚らからは冷遇され−−心理的ないじめのみでなく強制労働や人身売買業者への売り渡しもあった状況で、どうにか生き延びた11人が、体験をつづる。



 長く丁寧に綴る人もあれば、ほんの短い文章もある。だがそれでもそれぞれの行間には重みがある。
 頼る人もなく、世間や行政からは見捨てられ、浮浪児の「狩り込み」と呼ばれた強制収容では、檻に入れられ水をかけられたという。別の体験者によれば東京都の人間にトラックに乗せられて、茨城県の山中に集団で捨てられたという。

 戦争の犠牲者であり、家族を失った子供たちに対し、野犬のような扱いである。しかも日本の戦後社会は、豊かになってからでさえもその人たちに詫びるどころか、存在を語り継ぐことすらしてこなかった。少なくともわたしは、浮浪児と呼ばれた子供たちの強制収容や親戚による人身売買など、最近まで知らずに過ごしてきた。

 本書は、戦後を生き延び、連れ添った夫が先立ったのちに、ふと色鉛筆を手にとって絵を描いてみた著者の思いから生まれたものである。戦後から70年近くを経て当時を思い、絵を描き、文章を添えて自費出版したものが、この講談社版につながった。

 それほど悲惨な日々を送ったのに、描く絵は透明感すら感じさせる純粋なものだ。理屈や雑念はそこになく、ただ当時に家族がいてくれたらと、それで幸せでいられたのにという素直で素朴な思いがそこにある。

 もしも魔法が使えたら−−
 ほしいものは、豪邸でも金塊でもない。現代人の多くがあたりまえに享受している、素朴なものだ。
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2018年06月21日

私の夢まで、会いに来てくれた - 金菱清(ゼミナール)編

 出版直前から、ずっと気になっていた本だった。構成を担当された角田奈穗子氏とはかねてより多少のご縁があり、Facebook等で本書の出版について何度も案内を拝見していたが、なかなか書店で現物に巡り会うことがないままに日々が過ぎてしまった。震災関係の書籍をまとめて書店取り寄せの決意をするまで3か月以上かかったが、偶然にまかせず取り寄せしてでも、読んでよかったと思う。



 本書は、前回このブログで掲載した「霊性の震災学」と同様に、東北学院大学で金菱清氏が率いる「震災の記録プロジェクト」として、2017年前半に学生らが被災者の方々にお話を伺った「夢」の記録を紹介し、まとめたものである。金菱氏は存じ上げないが、学生らにこの難しいテーマ(話の切り出し方を間違えたら学生が先方から怒られてしまいかねない「夢」の話)を与えて送り出し、そしてこれだけのものを引き出してこさせることから考えて、おそらく学生らとの信頼関係が、かなり強く確立されているのだろう。ひとつ間違えれば無謀な策であり、鬼教官と呼ばれかねない。

 先にあとがきについて書いてしまうが、金菱氏は阪神淡路大震災を大学入学直前に経験し、そして教員としては東北学院大学で東日本大震災を経験しているそうだ。大手のメディアに出にくい、現地の方々の体験や思いについて、感性の大きなアンテナをお持ちなのだろう。

 本書から、あふれるように飛び出してくる夢の話を、ここでひとつひとつのご紹介はしない。あのときああしていれば違ったかもしれない、自分があのとき引きとめていたら。もし、あのとき−−そんな話者の叫びが、できるだけ簡素を心がけたのであろう、おさえられた文章の行間から、ともすれば紙を突き破って出てきそうな勢いで聞こえてくる。文字になった言葉の裏に、間違いなく何倍もの思いがある。

 聞き手と話者の相性もあるかもしれないが、全員が語りたくてたまらなかった人ばかりではなく、調査に来た学生さんに丁寧に接してくれたという印象をもった話もあった。逆に、この人(話者)の話をこんなにきれいに、短くまとめてしまっていいのか、この人は本一冊になるくらいにすごい思いをいだいているのに−−と感じさせられる話も、かなりあった。割合としては後者のほうが多く感じられた。

 これからも、震災の記録プロジェクトは、つづけていかれるのだろうと思う。一度に全員の思いをまとめることはできないが、テーマが異なる別の切り口を見つけてインタビューを継続していくことで、新たな人が自分の思いを口にすることができるのだろう。そしてそのときの「口にする」、「表現する」ことが、その人たちにとって癒やしであり救いとなるのだろうと、信じている。

 今後も、震災の記録プロジェクトを、応援していきたい。

 さて、こういう内容を書くことは本来の書評には不要ではあるが、世の中で「お約束」のようになってしまっているため、わたしも東日本大震災のことを書いておく。
 わたしは北関東育ちだが、義父母は岩手県沿岸で生まれ育った。震災のころには生活の大半を盛岡に移していたが、家は沿岸にも残していた。その日にどちらの家にいたかで運は大きく分かれたはずだ。盛岡にいたことがわかったのは翌日だった。だが連日のテレビ映像で自分たちの故郷が津波に呑まれるのを見て、ただでさえ認知症気味だった老夫婦は完全に心を閉ざし、義父はその数ヶ月後に突然死した。ある意味で、震災の影響があったのではないかと、わたしは思っている。
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2018年05月26日

呼び覚まされる 霊性の震災学 - 東北学院大学 震災の記録プロジェクト 金菱清(ゼミナール)編

 出版当時から気になっていた本を、ようやく読むことができた。
 気になったきっかけは、当時この本に「幽霊」の項目があることが、大きな話題になったためだ。外国の新聞記事にもひときわ大きく幽霊の話が紹介されていたのを覚えている。そして英語で紹介された記事のコメント欄には(それらコメントも英語だが)、きゃーという軽いものやら、読み手のお国柄によっては真剣に興味をいだくものやら、さまざまな反応があった。

 それは日本の紹介記事でも似たり寄ったりだったと思う。わたし個人は幽霊話も嫌いではないが、それよりも民俗学的な面から大きな関心をいだいた。幽霊話は一部であるにせよ全体を構成する大きな柱は、現地の学生らによるフィールドワークだという。この21世紀の現代でさえ、人に語るには繊細すぎるはずの内容(しかも内容はそのつい数年前に発生した大きな出来事にまつわる)が、第三者より採話可能であったことに、驚きを隠せなかった。

 いつか読みたいと思っていたが、今年ちょっとしたきっかけがあり、この本のほかにも、東日本大震災のその後をつづる本を二冊購入した。まずいちばんに読んだのが、本書だった。



 各章をそれぞれの人物が担当している。

 冒頭でまず、編者でもあり第五章を担当する金菱清氏(東北学院大学教授)の指摘が胸に突きささる。日本のメディアは震災のご遺体などを、画面や紙面で見せないという点だ。理由はさまざまにあろうが、その結果として、その地にあった"生"が"死"になったことを見る側や周囲が直視できなくなる。最終的には何人がなくなった、そんなことがあった、いまは現地はこうなっているといった言葉や数字で、表面的なさらりとした記憶を人に植え付けてしまう。

 本書の貴重さは、数字の大きさやセンセーショナルかどうかではなく、現地に当時も取材時も暮らしていた、普通の人々から言葉を掘り起こし、記録している点にある。
 また、遺体や埋葬のご苦労がなかなか外部に伝えられることのない状況で、第六章「672ご遺体の掘り起こし」のような話は、被災地の表面的なご苦労にしか思い至らなかった人間として、我が身を恥じるほどの衝撃があった。ご遺体の身元がわかるまでは保存しておきたくてもドライアイスがない。道路事情や焼却炉の事情で火葬もなかなかできない。だが腐敗は進む。そこで宮城県では仮の場所にご遺体を埋葬して、2年以内を目安に掘り起こして火葬するという方針を打ち出したそうだ。だが墓地でもないところに仮に埋葬された人々は、あまりにも気の毒である。地元の葬儀社がたいへんな労力で、約4か月で掘り起こしと火葬を完了させたとのこと。
 この章だけでも、目が覚める思いがした。自分には、知らないことがまだまだ多すぎると気づいた。

 東北のこの震災にかぎらず、大きな災いのあとには、忘れたい人、忘れたくない人、忘れてはいけないと思う人、死を語ることが難しいならばそこに大勢の生きていた人がいることだけでも伝えたいと思う人々など、さまざまに多くが存在する。思い出としての碑を願う人、祈るための碑を求める人、埋葬する遺骨は流されていたとしても新たなスタートとして墓地の移転を考える人々。それぞれの形がある。本書ではさまざまな視点から各人が取材をし、現地の人々の思いを、さらに多くの人間たちの記憶に残すため、文字という形にしてわかりやすく刻んだ。

 第五章「共感の反作用」は、この中でもとくに、すすめたい。悲しみは、亡くした家族の人数ではない。実際に被災地で避難所にいたかどうかの経験でもない。都会に暮らし、現地の家族の多くが亡くなった人がいる。日々を生きるのがやっとなほど打ちのめされ、何年も立ち直れずにいたという。人それぞれに、目に見えるとはかぎらない苦しみをいだいている。
 つい人は、あなたは揺れを経験していない、津波を近くで見ていない、家族も亡くなっていないという目で、被災者とそれ以外を線引きしてしまうことがあるかと思う。だが、今後は慎重でありたい。

 さて、話題の目玉となっていた第一章「死者たちが通う街」では、石巻に聞かれたタクシーに乗る幽霊の話が紹介される。タクシーに乗ろうとした(もしくは乗った)幽霊は、ほとんどが年少者か若者であったようだ。幽霊というもの全体を肯定するならば、中高年や高齢者の幽霊もまた出ないわけではないだろうが、何かの存在を感じて幽霊だろうかと考えたとき、若者ならばさぞ思い残すことがあっただろうという受け手側の思いにより、若年層を話題にさせやすくするのかもしれない。

 話を聞き、内容をまとめたのが現地で学ぶ学たち(しかもほとんどが震災当時に現地で高校生だった方々)であることから、地元の方々も口を開いてくださったのだろう。これほど繊細な問題で個々人から話を聞け、そして実際の掲載まで話が進むのは、なかなか可能なことではない。
 ひとりでも多くの人の目に、この本がたどり着けるように祈っている。
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2018年03月21日

ニッポンの肉食 - 田中康宏

 マタギや狩猟、野生動物の食肉への加工の話題にはずっと関心があり、これまで何冊か読んできたが、どれも感慨深いものだった。本書を読み終えたあとになって、著者紹介の欄を見てようやく「女猟師」の著者であったことに気づいた。あれも感慨深い作品だった。わたしがこうした本を好むようになったきっかけの一冊だったように記憶している。もう一冊は内澤旬子著「世界屠畜紀行」だ。



 第一章では、日本人の食べてきた肉について。
 日本人は古来から肉を食べていた。よく言われるような、かつての日本は仏教の教えで肉を食べなかったというわけではなく(なぜなら仏教は殺生を全般的に禁じているのであって、牛や馬など四つ足を食べてはいけないが魚や鶏はよろしいと言っているわけではない)、その時々の人々により食べ物と見なされた生き物は、食べられていた。たとえば明治以前に多くの人にとって牛や馬を食べる習慣がなかったのは、それらが使役動物として有用であったためだ。生きているうちは農耕や運搬をさせ、死ねば弔ったからであり、食べ物ではなかった。著者のこうした説明には、大きくうなずかされる。

 第二章では、牛肉の種類や概要、銘柄和牛と国産牛はどう違うのか、効率よく肥育化させようとする過程で世界的な社会問題となってしまった狂牛病などについて、牛に多くの言葉を費やしつつも、それ以外の畜産肉(豚、鶏、羊、山羊、馬など)についても紹介。
 そして日本における狩猟の概要と必要な届け出の説明、狩猟で得られる肉にどのようなものがあるか。そして美味なのか、臭くて食べられないのか、一部の条件下においてならば食べられるのか−−マタギによってまったく意見の違う「狸の肉」を実際に食べてみた、その感想とは。

 第三章では、食肉加工処理についてを解説。実際に現代の人間が食べている食肉の加工処理施設は見学も可能なことが多いが、著者は古くからある肉屋での作業について、そして狩猟の現場で獲物を仕留めた直後におこなわなければならない血抜きと内臓除去についても、実際に現地で取材したまま、丁寧につづる。

 かつてアニメーションなどでよく話題になった原始人肉(骨のまわりに肉がついていて、かぶりついて食べる)は実際に作るとしたらどう調理するのか、そもそも部位としては動物のどこなのかなど、文章のいたるところに著者の肉への情熱があふれている。

 なお、わたしはP.82以降のクマの欄で1915年に実際に北海道で起こった三毛別(さんげべつ)事件が気になり、ネットで調べてみた。死亡しただけで7人。怪我を含めればかなりの人数が被害にあった人食いヒグマ事件である。冬眠しそこねた巨大な羆が人肉の味を覚え、最初は偶発的な襲撃だったがそのうち狂気に満ちて昼間でも人家にやってきたという恐ろしい事件だ。本も何冊か出ているようなので、ぜひもう少し調べてみたい。

 同著者の本で「山怪」というのも人気だそうだ。
 わたし自身が山育ちのせいか、不思議と山の話にひかれる。
posted by mikimarche at 22:55| Comment(0) | 実用(歴史・文化)