2019年08月04日

辞書を編む - 飯間浩明

 何年か前に三浦しをん原作の映画「舟を編む」を見た。何年もの歳月をかけて丁寧に辞書を編纂していく人びとを描いたものだった。
 本書は、三国(さんこく、三省堂国語辞典)の第七版で著者らが掲載候補と語義を吟味していく過程を読みものとしてつづったものである。上記の映画に出てきたような街頭での言葉使用例の収集(かならず撮影などして日付とともにデータを残す)や、映像作品やテレビのニュースを丹念に確認する作業が描写されている。また、映画の原作内にあった「愛」の語釈についても、編集仲間のみなさんと語り合ったことが記されている。



 他社の辞書との特徴や用例の違いを踏まえながら、わかりやすい語釈を検討していく流れは、読んでいてとても楽しい。
 たとえば、右と左について。紙の辞書が主流であった時代は「この辞書の偶数ページが表示されている側」といった定義づけも考えられたが、電子書籍が主流になれば同じ表現は使えない上、読み上げて人に聞かせている場合には読んでいる人と情報を得ようとしている人が別人であるため、そもそも「この辞書のページの」という表現が、適切ではなくなる。
 最終的には新明解(他社)などで使われていた方法を視野に入れつつ、文字の右側部分(たとえば「リ」なら長いほう)を使った説明を足すことに落ちついたようだ。

 キャバクラの欄は、思わず吹き出した。広辞苑が「キャバクラ」という言葉の掲載を見送ったのは、辞書を編纂する人びとの中にキャバクラに行った経験がある人がなかったからだという記事が、2008年にzakzak(夕刊フジの公式サイト)に載ったことがあるそうだ。著者もまた同じような話の流れを経験したが、掲載の可否を迷っていた時期にテレビ番組に誘われ、キャバクラの取材に行く機会を得たとのこと。2時間ほど滞在したというが、それまで頭で考えていたキャバクラの語義は、現地の従業員の方のお墨付きをもらったそうである。

 三国は、現在使われている言葉をわかりやすく掲載することを念頭においた辞書だそうだ。電子化された辞書製品が増えていくご時世で、手に取れる厚さの辞書にこだわらなければならない事情が緩和されていく将来であっても、むやみに語数を増やせばよいとは考えていない様子。

 三国にはアプリ版があるとのことで、いつか買ってみてもよいかなと、そんな風に感じた。
posted by mikimarche at 23:55| Comment(0) | 実用(その他)

2019年05月28日

シニア起業の「壁」は「心の壁」- 村上孝博

 銀行勤務を経て定年退職した著者が、職業訓練講座の受講をきっかけに、それまで関心のなかった分野(製菓製パン)に興味をいだいて個人でパン屋を開業した経験をつづる。



 長い年数を事務や営業でおつとめだっただけに、文章を書くことに慣れていらっしゃるようだ。また開業以来の主力商品でたいへん人気があるという米粉シフォンについても、講習の最初ではメレンゲの意味すらわかっていなかったということを書かれていて、素人目線から業界にはいったことが正直に書かれていて、とっつきやすい。

 まずは自分なりの無理のない規模でと、間借りから開始した店が、少しずつ軌道にのっていく。
 売れるかもしれないと、慣れていないことに手を出すと失敗する話。たとえば催事のような企画に出品を頼まれても、普段から商売しているお客が相手ではない場合には販売個数も読めない。あるいは定番商品であっても季節だけ別味を出すとお客が手に取ってくれるが、あまりに欲を出して冒険をしても成功しない話。

 読みものとして最初から読んでいってもよいが、目次がとても丁寧に書かれているので、起業部分にとくに関心がある人は、拾い出して読むこともできる。

 開業においては家賃の計算、店の規模などを先に考えて、つづいて食材比率、損益分岐点売上高を考えていくべきであるという指摘は、まったくもって元銀行家らしいご意見。そして普段から接しているお客さんたちのご縁で、あらたな縁へとつながっていくことがあるという、身をもっての体験談。

 食品でお店を開きたい方は、読んでみて損はないかと思う一冊。

 最後に、文体について。
 中盤では、書き方がやや啓発系のビジネス書のようになっている部分があり、気になった。おそらくは読みやすさを狙ったものなのだろうか。たとえばわずかな内容を書いたあとで「気づき」と題して1行程度のことを書くのだが、直前までの文章を普通に読んでいて頭にはいることであり、むしろ「気づき」を入れずに文章を書きつづけていったほうが、自然なリズムがたもてるように思った。好みの問題といってしまえばそれまでだが。
posted by mikimarche at 21:50| Comment(0) | 実用(その他)

2019年05月09日

日本人なら必ず誤訳する英文 - 越前敏弥

 読みはじめる前に書籍タイトルを見ての印象は、実はあまりよいものではなかった。暇つぶしに読んでみようかと思った程度だったが、中盤のあたりから「なめていた」と気づいた。翻訳業にはいる前に講師歴が長かった著者だけに、間違いやすいツボのようなものをよくご存知だ。
 ごく一部に例文がひどすぎる例(難しいのは読み手の問題ではなく原文が悪文)もあったし、著者自身もそれらを悪文と書いているほどだったが、そうしたものは、なぞなぞを楽しんだ程度の感覚で読み流すことにした。



 わたしは普段から英語の新聞記事をよく読んでおり、耳からはいる英語としては大量の映像作品(ジャンルはホラー、SF、犯罪ものが多い)を楽しんでいる。語彙に富んだ表現の美しい英語をあまり頭に入れずに過ごした年数が、結果として長くなってしまった。英語のまま頭にはいってきている気がしてさらりと読んでいるだけでは、もしかすると理解はしていないのかもしれないと、本書の問いを読みながら考えた。

 100問以上の問いかけがあり、数問おきに日本語訳と解説が載っている。ぜひ面倒がらずに、提示された問いを頭の中で日本語にしてから、できれば口に出すか、紙に書くなどしてから、正解を読んでほしい。自分ですんなりと日本語に出せない場合は、英語の理解が足りていないのだと、思い知らされた。

 慣れているつもりになっている人こそ、読むとためになる本である。
posted by mikimarche at 10:55| Comment(0) | 実用(その他)

2019年04月21日

翻訳地獄へようこそ - 宮脇孝雄

 英語や翻訳、とりわけイギリスの歴史や文化に関心のある方なら文句なしに楽しめる一冊。また、文章の合間に紹介される書籍が面白そうなものばかりで、これを読みながらいったい何冊Amazonで「ほしいものリストに入れる」を押したことだろう。



 先にほめておいてこう書くのもなんだが、全体から見て最初の2割程度は、実はつかみどころがない。どうせ振り落とされる読者がいるなら最初にまず多めに誘いこんでおこうと、手探りしていたような印象を受ける。誤訳とはどういった面で多く生じるのか、こういう単語をこう解釈してしまうからつまづくといった、やや初級編のような話が多いことにとまどった。
 あれれ、この本、話題だとどこかで聞いたよなぁ…これはおもしろくなるのかと、考えはじめたあたりからテンポが上がった。多くを誘いこむよりも、冒頭から小難しく書いておいてくれたら発奮して食いつく読者がいると思う。読みつづけていてよかった。

 著者はイギリスの話題に造詣が深いようで、アメリカの作品を事例にとるよりもイギリス作品や、参考としてオックスフォードの英英辞書類の話題が多く出てくる。言葉をたんに訳すのではなく、その背景を知るための努力をいとわないことが翻訳には不可欠であると、文章で読み手を引きつけながらさまざまな参考書籍を紹介。

 ドアを押して開けるのがあたりまえの国に住んでいる人は、逆の文化圏の小説を訳すときに「入室」、「退室」すら間違えてしまいかねない。ナースは現代の文章なら看護師だが昔の文章なら子守や家庭教師。イギリスの中流以上の家庭では普通の夕食時間が遅めであることを考慮しないと、あたかも夕食のあとの夜食であかのように勘違いして訳す危険性も生じる−−そういった事例を紹介しながら、技術的な面(読み手にとってのリズムと情報を頭に入れる順番を損ねないように、できるだけ語順を活かして訳す)も解説。

 しばらくのあいだ、本書に出てきた本たちを眺めることで、読書の楽しみに浸れそうだ。
posted by mikimarche at 00:10| Comment(0) | 実用(その他)

2019年04月09日

逃げろツチノコ - 山本素石

 昭和後期に懸賞金騒ぎでもてはやされ、一部自治体の村おこし、町おこしでも話題になったツチノコ。その流行の先駆けとなる活動をしてきた著者は、1960年代から10年以上の長きにわたって同好の士(構成員はおもに中年男性)らと、ノータリンクラブという名でツチノコを追跡した。
 目撃例を聞けば駆けつけ、地元の協力が得られる場合は出現場所に数日以上もとどまって各種の工夫(罠をしかける、燻してみるなど)を凝らしては出現を待った。
 はたから見れば金も時間もかかっている活動だが、それぞれの参加者には職業や趣味があり、あくまで「出てきてくれれば本望だが、見つからない場合は現地で釣りでもしよう、あるいはあれをしよう、これをしよう」といった、心の余裕がある人たちばかりだ。だからこそ長くつづいたのだろう。
 


 全国的に、ごく一部の県を除いては伝承や目撃例があるツチノコ。地域によって呼び名は違えど、特徴には共通する部分も多く、つい昭和前半のころまでの具体的な目撃例が各地にあることを思えば、絶滅してしまった何らかの生きものがいたのではないかと、そんな風に思えてくる。

 たとえば、以前にどこかで読んだのだが、ニホンオオカミは野生での最後の目撃例がある10年前まで、上野動物園に展示物として飼育されていたという話があるそうだ。絶滅するなどと思ってもいなかったから飼育をやめたのではないだろうか。
 図鑑や本に記載されずに一部の人だけが知っている生きものはいつの世にも存在するが、それがたまたまツチノコだったのではないだろうか。有名になるころには絶滅に瀕していた可能性は、無下に否定できない。

 著者は活動にひと区切りを付けるころ、世の中のバカ騒ぎ(懸賞金など)や、その流れで自分を知った人物からみょうな話を持ちかけられた件を通じて、ツチノコへの思いを新たにした。いてくれたらありがたいが、人間にはつかまらずに暮らせと、そう考えるにいたったことが、本書のタイトルになっている。

 全体的に、語り口は軽妙。現代の目から見ると昭和のオヤジ臭が強いかと思える場所もあるが、慣れてしまえばそれも味がある。

 ツチノコの目撃談をご本人たちが存命のうちに聞きとりできた時代の本(初版は1973年)であり、たいへん面白く読めた。わたしは電子書籍で読んだが(Amazon Kindle Unlimitedでは本日現在無料)、ソフトカバーでも出版されている。
posted by mikimarche at 20:50| Comment(0) | 実用(その他)