2012年06月24日

魔法のラーメン発明物語―私の履歴書 - 安藤 百福

 著者の次男にして日清食品ホールディングス現CEOである安藤宏喜氏の「カップヌードルをぶっつぶせ!」を先に読んでいたため、だいたい話の流れはわかっているつもりでいたが、とんでもなかった。



 息子さんが1ページであっさりと書いたような話−−たとえば濡れ衣を着せられて憲兵に何日も拷問を受け、出てきたと思ったら戦時中の燃料不足を考えて神戸の山を買いひと山そっくり炭焼きしたこと、戦後に若者がやることもなくぶらぶらしていてはいけないと塩の事業で若者たちを大量雇用したり、栄養食品の開発を始めたと思えば、脱税容疑で巣鴨プリズンに収監されて2年も無罪を訴えた。さらには頼まれて理事になった組合が倒産して身ぐるみはがされ…といったものが詳細に書かれている。こんなことがあってもよく次の事業、次の事業とアイディアがわき出て、それにともなう実行力が尽きなかったと、驚くばかりだ。

 本書は、7割くらいが日経新聞に連載の「わたしの履歴書」から、そして残りが、著者が第一線を息子さんに譲ってから10年以上かけて中国各地を食べ歩いた麺類の一部を写真付きで解説する「麺ロードを行く」という構成になっている。ちなみにこの麺ロードは、70代後半から90歳ころの期間に食べ歩きされたもの。まさに年齢を感じさせないご活躍だった。

 薄いが、日清食品が凝縮された本。カップ麺ファンとしては、ぜひおすすめする。

 ただ、気になったこともある。上述の宏喜氏は次男であり、実は2年ほどで社長を降りた長男がいたと「カップヌードルをぶっつぶせ!」にはあった。だが本書では、子供たちの描写を含む家族関連の回想を含め、考えが対立しておやめになった長男は、一度も登場されない。長女のお名前は数回登場するので、正直なところ驚いた。
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2012年06月10日

お菓子の国から―ドイツケーキの12か月 - 押尾愛子

 かつてユーハイムのドイツ店舗があったころ、初期のスタッフとして3年間現地で働いた著者。ドイツ語を活かしたい、大学院に行くよりもまずはドイツに触れたいと願うあまり、たまたま募集を知ったユーハイムの心斎橋店舗の面接で「じつは(ここではなく)ドイツ店で働きたいんです(p.13)」と告げた。驚いた担当者がその場で電話をかけ、神戸本社で担当者と会うように段取りをつけてくれたことが、のちの入社のきっかけとなった。



 1995年の本だが、内容は70年代後半のドイツが中心。そのため、表現や描写は古い。たとえばEUではなくECであったり、いまではすっかり日本語でもお馴染みの「ベルリーナー」という揚げ菓子をジャーマンドーナツと書いたり(←そのほうが通じないか、別のものを連想すると思う)、マジパンをうまいと思う日本人はそうそういないだろうという描写など。近年マジパンのファンは増えつづけ、知名度はぐんと上がっている。

 全体としては、異文化エッセイとしても、菓子好きの人の参考書としても、ずいぶんと深く書かれていると感じる。欲をいえば、現地での暮らしが順風満帆すぎて、失敗話がまったくないところだが、これはもともと現地で2年を過ごしたのちにドイツに住む立場として最後の1年を「ユーハイム社内報に」連載させてもらった文章とのことで、読むのが社員であれば、自分の失敗話よりも菓子話が多くなるのが必然と思う。

 本の最後には、まだ移動が許可制だった東ドイツへの数日間の旅行についても触れられている。

 たいへん面白く読んだのだが、P.167後半の「マジパン」について。ドイツと同じマジパンは日本に輸入されていないと読める箇所がある。日本に流通する種類のスイートアーモンドではマジパンの味が出ないのだが、ビターアーモンドは日本に輸入できない(要約)…とあったのだが、実際のところ、ドイツの有名メーカーのマジパン商品は以前から日本に輸入されているので、これは納得がいかずに、検索してみた。

 結果、平成2年(21年前)の厚生省(現:厚生労働省)の記録で、「(要約)マジパンの原材料であるビターアーモンドにはシアン化合物が含まれているため検査を実施することがあるが、食品衛生法違反となった事例はない」という表現を見つけた。つまり、ビターアーモンドが日本に輸入されていないことは過去も現在も間違いないのだが、ビターアーモンドを使用したマジパンは検査にまわされることがあっても輸入を止められたことはない、というのが実際のところだろう。
(詳しくは、インターネットで「マジパン 輸入 ビターアーモンド」などの単語で検索されたし)

 このあたりの疑問に関しては、すぐ調べられるインターネットの存在があってよかったと思う。日本向けにスイートアーモンドで作ったマジパンを輸出している企業が、あるのかと思ってしまった。
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2012年06月06日

面白南極料理人 - 西村 淳

 先日見た映画の「南極料理人」があまりにもツボにはまったので、読んでみることにした。



 映画ではあまり描かれなかった食材搬入の苦労(たとえば卵は持ちこめなかっただろうとか、牛乳はどうしたのか、葉物野菜は、などの疑問)が、準備段階の苦労としてかなりページを割いて描かれていたので、わたしにはそのあたりがもっとも読みごたえがあった。結論からいえば、卵は割った状態の加工卵、食材は業務用の冷凍食品なども開発されているし、まったく持ちこめないものは、一般人の想像よりは少ないらしい。

 高温殺菌の常温保存可能牛乳(LL - ロングライフ牛乳)は、冷凍して持ちこめば問題ないものの、冷蔵で南極にいけば数ヶ月で飲めなくなるそうだ。冷凍か冷蔵かを迷っているうちに(メーカーに聞いてもふざけていると勘違いされて回答を得られず)、船に積む当日になってしまって、勢いのまま冷凍で運んだら成功だったとのこと(P.40周辺)。

 著者も含めて9人が冬を越したドーム基地での苦労話は、笑っている場合ではなさそうな事件も多く発生、よくご無事で日本の地を踏めたものだと思う。

 たとえばマイナス70℃の世界で燃料が1週間分となり、150m先から運んでこようにも運搬機材が凍りついている状況(P.236)。さて、どうするか。いっぽう、あり得ない寒さの中で無理やり露天風呂というのも出てきた。聞くと危なそうだが、本人たちはかなり楽しそうだ。

 料理好きの方はP.90あたりででてくる「ピチットシート」を、文庫片手にネット検索したかもしれない。冷蔵庫で干物や新巻鮭が作れるそうである。

 ほかにも著書がおありのようだが、海上保安庁でお勤めの以前はどこで料理を学んで、普段の勤務はどんな場所で料理してこられたのか、そのあたりが書かれているものがあったら、読んでみたい。
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安閑園の食卓 私の台南物語 - 辛永清

 台湾の上流階級で大家族の一員として生まれ育った著者は、二十歳のころ日本にやってきた。ピアノの才に恵まれ音楽を学びながら、台湾人の夫とのあいだに生まれた長男とともに暮らした日本。だがわずかな年数での離婚ののち、台湾の実家に帰ることなく、日本で息子を育てる決意をした。そのとき彼女の力となったのは、幼いころから大家族のなかで身に叩きこまれていた、料理と味覚だった。



 1986年に文藝春秋から出版された、実に見事なエッセイである。最近になって作家の林真理子氏が思い出話として絶賛し、古本として入手した編集者が感銘を受けて24年ぶりに文庫化されたのだそうだ。

 著者の家は料理屋でも宿屋でもないのだが、郊外に何十人もの家族がゆったりと住める大きな邸宅を構えており、中国の風習にしたがって、訪れた客にはかならず「食事が済んでいるか」という挨拶をして、いつ何時でももてなしてきたという。そして母親は(体力のいる豚はともかくとして)鶏くらいは首をはねて血を抜くところから料理ができなければ恥ずかしくて娘を嫁に出せないと、著者の上の姉たちまではとくに厳しく家事を叩きこんだ。その家では、料理を作る人間を雇いながらも主婦であった母が料理に目を光らせ、配膳や皿の交換など家族の食卓に関しては自分たちでおこなうよう娘らをしつけていたという。

 すばらしい両親であり、周囲の人々である。何よりも、古きよき時代のぬくもりにあふれている。

 大家族の長でありながら家族を平等に愛した父親は、全員が同じもので食卓を囲めないなら、贅沢なものを自分だけ食べるわけにはいかないという考えの持ち主であり、いくら家が裕福であっても人数分をそろえることが困難なこともある「燕の巣」料理を、母親が「お父様の誕生日にぜひ召し上がっていただきたいから」と家族一同にいいふくめ、遠いテーブルについた子供たちは、ほんとうは皿にないものを、食べるふりだけをしたこともあったという。

 料理のレシピもところどころに出てくるが、この本の主役はあくまで著者の台湾時代の思い出である。

 日本ではNHKの番組で料理講師をされたり、講演活動もおこなっていたという著者だが、2002年に残念ながらお亡くなりになった。もっと以前に、この本の存在を知っていたかった。
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2012年06月05日

このまま100歳までおいしゅうございます - 岸朝子

 料理記者歴60年近く、ご存知「おいしゅうございます」の老婦人、岸朝子。いまだにほとんど持病も通院もなく、血液検査はいつも○。好きなものを適度に食べる生活を、これからも生涯現役でつづけていくであろう方。



 第一章を読んだときは、長生きする秘訣の十箇条のようなものが出てきて「とんでもなく安っぽい本を買ってしまった、活字もでかいし」と思ったのだが、しばらく積んでおいて最近になって読み直すと、生い立ちやご家族のこと、生き様が大げさではない言葉でつづられ、少なからず感銘を受けた。

 沖縄にルーツがある著者だが、幼少時から東京住まい、そして結婚後の数年間を愛知県、戦後数年は千葉県、高度成長期のころからまた東京都に暮らすという経緯がある。親戚との交流で沖縄料理に造詣は深いものの、味覚は早くから東京の洋食店ほかで鍛えられていた。

 また、母方の先祖は琉球王朝末裔、父は一般民(農業)という、当時の世相では考えられない格差婚だったという話も興味深い。祖父が父の人柄を見抜き、娘(著者の母)との結婚を段取りしたのだそうだ。そして著者のお相手は軍人だが、それも著者の叔父が「この男なら」と見こんで、周囲に段取りをつけたという。

 テレビで「おいしゅうございます」を聞いて初めて著者を知った多くの人が、きっと何かを発見できる本。
posted by mikimarche at 23:25| Comment(0) | エッセイ