2022年12月27日

女ひとりで親を看取る - 山口美江

 東京の学校に進学し、英語を極めていつかすごい仕事につきたいと思っていたわたしに、ニュース番組「CNNヘッドライン」のキャスターで有名になった著者は、大きな憧れの存在だった。
 ほぼ同時期に「しば漬け食べたい」のCMに出たとき、よく似た人がいるものだと、本人とは思わなかったほどだ。だがその後も多くのテレビ番組で芸能人としての才覚を発揮していった。

 女ひとりで親を看取る / 山口美江


 バイリンガルのニュースキャスターでありながら芸能人をしているということに、「天は二物を与えず」というが才能がこんなにある人もいるのだと、驚いたものだった。

 その著者が2012年に自宅でひとり亡くなった。その少し前に、父親がアルツハイマーで徘徊をしていたこと、苦労していたことをテレビで語っていたのを覚えているが、ご本人に病気があるようにも感じられなかったため、訃報は突然だった。

 本書は、2004年ころから少しずつ様子が変わっていった父親が、2005年の数ヶ月間でアルツハイマーを劇的に悪化させ緊急入院、さらに2006年に入院先で亡くなるまでを綴ったものだ。

 わたし自身がアルツハイマー型認知症の義母と8年の同居を経験しているため、自分にとっては馴染みの描写(ホラー体験のような「あるある」)もあったが−−。年数は長くともひとりではなかったわたしと違い、著者は数ヶ月とはいえたったひとりで、「タクシーまで駆使してしまう徘徊」に対応していた。どれほどのご苦労だっただろうか。

 文体は軽妙で、生前の人柄そのままだ。

 もっと長く、生きていただきたかった。
posted by mikimarche at 23:55| エッセイ

2020年02月11日

成田屋の食卓 團十郎が食べてきたもの - 堀越希実子

 なき市川團十郎(十二代)夫人であり、市川海老蔵(当代、まもなく團十郎を襲名)の母である堀越希実子氏の著作。タイトルは食卓となっているが、ご一家の思い出や歌舞伎の世界について自然体で語るエッセイとなっている。その文章のあいまに、料理の写真や食材の情報がおさらいのように掲載され、巻末にふたたびまとめられている。

 本日現在、月額980円のKindle読み放題サービスにはいっている本だが、活字本としては1760円。





 新婚時代から、2013年に團十郎氏が他界されるまでを語り、それから3年して本書を出版された。文中にも、末尾にも、まさかその翌年に他界されることになろうとは誰も思わなかった真央さん(海老蔵氏の夫人)への、温かい思いがつづられている。
 しきたりや伝えていくべき味を学ぼうにも、結婚するころにはすでに義父母の存在がなかった著者。番頭さんらにひとつひとつを教えてもらい、実家の親に料理を助けてもらいながら、夫とともに手探りで成田屋をもり立ててきた。だが自分たちとは違い、真央さんには自分と夫が築きあげた料理の伝統を伝えていけるのだと、それを楽しみに本を書かれたようだ。日付から推察して、本の準備中はまだ世間に真央さんの闘病は明らかにされていない時期であった。

 料理そのものもたしかに美味しそうではあるのだが、なかなか知る機会のない歌舞伎役者の家庭、そして妻として家族として、舞台をいかに支えていくかの日々が細かく記されていて興味深い。團十郎氏が海老蔵時代の若手であったころは、まだチケットが売れ残ることもあったという。ご贔屓筋だけでなく新しいファン層の開拓も心がけ、おふたりでがんばった日々。手土産持参でご挨拶くださる人にはオリジナルグッズを差し上げるなど、著者ご自身がグッズを開発していることにも驚かされた。きめ細やかな配慮だ。

 最後に、わたしは第十二代の團十郎氏がお亡くなりになったとは、いまだに信じられない。歌舞伎のほかにテレビで時代劇などに出演されることもあり、とても親しみを感じていた。

 熱烈な歌舞伎ファンというわけではないのだが、ひさしぶりに舞台を見に出かけたい気分になった。
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2017年11月17日

ジョブズの料理人 - 日経BP社出版局(編集) (著) / ‎ 佐久間俊雄(取材協力)

 序文と前半のごく一部を読んだまま、忘れて積んでいた。何年くらい経ったのか、昨日ちょっとした積み替え作業のとき上のほうに出てきたのでパラパラとめくるうち、半日で読み終えてしまった。題材も興味深く、内容もまたつまらない本ではないのだが、なぜこんなに時間がかかったのか。

 おそらく、インタビューに基づいた記事をご本人の語りかけ口調で再構成した文体が、わたしの好みに合わなかったのだろう。その構成は冒頭で断り書きがなされていたが、どうしてもところどころで、ご本人と錯覚しそうになっては踏みとどまることがあった。



 アップル創業者のスティーブ・ジョブズが懇意にしていたすし職人、佐久間氏へのインタビュー記事である。奇しくも氏にとって大きな節目であるはずだった2011年春に日本で東日本大震災が起こり、おそらくはそういった状況の変化が遠因になったのだろうが、氏が予定していた新たな計画が実現を目前にしながら終了してしまった。そのころ、病と闘っていたスティーブ・ジョブズが、氏を案じて温かい申し出をしてくれたという。
 その話が実現されることはなかったが、ジョブズが亡くなってほんの二日後に、彼が足繁く通った佐久間氏の店もまた、閉店の日を迎えた。

 インタビューはその後まもなく、絶妙なタイミングでおこなわれたものだった。発表されて反響を呼んだのち、細部を掘り起こして書籍化となったようである。

 シリコンバレーの黎明期にスタンフォード大に近い場所で店を開いた佐久間氏の店は、インターネット関連企業のバブルに乗って安定した客足を得ることができたが、有名人だからと特別扱いすることもなく客は客として接した氏の人柄がかえって功を奏したか、IT企業ほかさまざまな分野での人脈にも恵まれた。円高で日本からの仕入れに苦労し、質のよくないものを無理に使って通常の味が出せないならばとメニューを工夫や削減しながらも、実直に店を守りつづけた。

 ジョブズの人物像やIT産業の話として、ファンも面白く読めるかと思うが、日本の食文化の海外進出の話として読んでも、楽しめると感じた。
posted by mikimarche at 23:20| Comment(0) | エッセイ

2016年08月16日

姉・米原万里 思い出は食欲と共に - 井上ユリ

 米原万里さんのエッセイは何冊も読んだ。名作「旅行者の朝食」や、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、なかでもよく覚えている。そして語学や通訳という仕事にもあこがれていたわたしは、作家として名をはせる以前の米原氏が通訳として寄稿していた雑誌類などでも、文章を拝見していたと思う。

 亡くなってしまったことが、惜しまれてならない。もっともっと多くのことを見て、食べて、それらを文章にしていただきたかった。



 本書はチェコでの幼少期をともに過ごし、同じことを経験し、帰国後に同じような悩みを乗り越えたいわば精神的な「同志」である妹「井上ユリ」氏の手による、姉と自分、そして家族の話だ。没後もなお変わらずに姉を慕う多くのファンたちへの思いがあふれている。

 著者のユリ氏によれば、知らない土地や初めて接する文化にも好奇心で果敢に突きすすんでいく印象をいだかれがちな姉であったが、実は慣れていないものには臆病で、慎重で、時間をかけて歩んでいくタイプだったらしい。ことに食通として知られる万里氏の印象からは遠かったが、初めての食べ物には慎重だったという。

 幼いころに借家で便器(くみ取り式)の中に3回も落ちては親たちが全身をきれいに洗った話では、おそらく好奇心で便器の中を覗いているうちに落ちたのだろうがなぜ一度で懲りなかったのだろうかと、実妹の軽快な筆遣いには遠慮がない。また食いしん坊の自分をうまくいいくるめてわずかなおやつと引き換えにその週の小遣いを巻き上げた姉の話、いかに姉が自分のエッセイで話を脚色しているか、あるいは記憶違いをしているかなど、ファンには新鮮な暴露話も綴られている。

 晩年と呼ぶには若すぎたが、万里氏が亡くなる以前の数年間に鎌倉でお住まいだった通称「ペレストロイカ御殿」は、どれほど素晴らしかったことだろう。通訳の仕事が急に増えて、英語ほど幅広い通訳人材が望めないロシア語の分野では、万里氏の売れっ子ぶりは類がなく、数年間で鎌倉に家を持つまでの蓄えが溜まったとは、本書にも記載されている。

 本が好きで、書くことが好きで、作家になる夢をいだいてそれを実現させた万里氏が、自分の力で若くして得た家。どれほど思い入れがあり、素晴らしい家であっただろうかと、出かけたこともないその地に、思いをはせている。
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2016年02月07日

ミラノ 朝のバールで - 宮本 映子

 十歳の誕生日に姉から贈られたイタリアの写真集。少女は毎日それを眺めては、一方通行であることを承知で、あこがれの著者に日々の出来事を書きつづった。そして一年も過ぎようかというころ、少女のもとに届いた一枚の葉書。そのころから少女の思いは、まっすぐにイタリアに向かっていた。



 本書は、イタリアでのウェイトレス募集を知り若くして日本を飛び出した女性のエッセイ集だ。現地男性との運命の出会いと結婚、そしして二児を出産し、現在もイタリアのミラノに暮らす著者。飾らない人柄と自然体の文章、そしてみずみずしい感性が、いたるところにあふれる。

 冒頭の「父の言葉」において、わたしはすでに、心をぐいとわしづかみにされた。あとは夢中でページを繰った。

 小学四年生のとき「箸のそんな端っこを持って食べる映子は、たぶん遠くへお嫁に行くんじゃろう」と、父親に声をかけられたそうだ。そんなことが現実にならないようにと心から祈りつつも、気づくと箸の端っこを握っている自分がいた。そして海を渡ってミラノに暮らす現在も、たまに食べる和食で同じことに気づく。だが父母のもとを離れても、とても平凡な気持ちで日々を送っている、そういう文章だった。

 産後のうつや、幼いころからの持病など、けして順風満帆だったわけではない異国での暮らし。だが子供たちや周囲の人々、夫の家族など、多くの人に囲まれた暮らしの描写にはつねに明るさがある。読んでいる側であるわたしにも、太陽が降り注いでいるような感覚と風を感じた。

 あとがきで正式に明かされるが、冒頭で紹介された写真家N氏とは、西川治氏である。
posted by mikimarche at 23:05| Comment(0) | エッセイ