2019年07月08日

ある男 - 平野啓一郎

 短時間で小説を読んだのは、いつ以来だっただろう。kindleでダウンロードし、気づけば2日以内に読み終えていた。まとめて読んでは場を離れ、何回かに分けて読んだので、おそらく実質的には半日での読了だったかもしれない。

 著者の小説を読むのは、おそらく初めてだ。普段の作品からこういう構成なのか今回のみかは不明だが、小説家がある男と出会ったシーンが冒頭にあり、以降はその「ある男」の話となる。小説家はその後は現れず、つづり手に徹する。



 過去を捨てた男。語られた言葉を現実のものと信じて運命をともにしていた女。そして発覚。いったいほんとうは誰だったのかを知りたくて救いを求める女に協力する、旧知の弁護士。
 たんねんに、覆っていた泥を払いのけるように事実を拾い上げていく弁護士の姿が、彼自身の生い立ちや現在の家庭とともに描かれる。

 家庭での確執、家族に犯罪者がいたなど、人生を捨ててやり直したいと思う人びとには理由がある。出自や環境を選べなかったそうした人たちの思いと、主人公自身の在日コリアンへの思い。そして弱者に広く手を差し伸べる彼と、現実的な範囲での援助にとどめるべきと考える妻とのあいだに生じる齟齬。さまざまなことを描きながら、この物語は収束へ向かう。

 わざとらしいような感動を生まない話だが、自然に頭にはいる流れだった。たまには小説も悪くないと、ひさびさに感じた。
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2017年07月13日

まるまるの毬(いが) - 西條奈加

 将軍家に仕えた旗本の家を自らの意志で出て町人となり、若くして諸国を修行した菓子職人の治兵衛。苦楽をともにした妻は旅の途上で病に倒れたが、残された娘とともに江戸へもどり、諸国の菓子を庶民にも手の届く価格で提供する「南星屋」をはじめた。



 菓子作りから店のこと、そして諸国の菓子の資料までそらんじているしっかり者の娘と、客さばきに長けた孫娘の三人で切り盛りする店をそっと見守るのは、治兵衛と同じく旗本の家を出て身分の高い僧となった弟の五郎。

 珍しすぎる菓子を商ったばかりに九州の大名から門外不出の菓子製法を盗んだと疑われた「カスドース」の回にはじまり、娘のお栄とかつての亭主との再会、孫娘お君の恋心を描きながら、治兵衛と五郎の実家である旗本家の現状やさまざまな人間模様が描かれる。

 心をこめた菓子の描写でなごんだ気分になりながらも、世によくある人のねたみや、ちょっとした思惑のために、治兵衛ら登場人物の幸せにひびがはいる。大切にしていたものが崩れて、何人もが涙を流したとき、やがて雪解けのように明るい日の光が見えて、話が終わる。

 店の主である治兵衛の境遇がやや特殊すぎないだろうかという思いもあったが、そもそもそれがなければ成り立たない話であり、仕方のないことだったかもしれない。

 まったく存じ上げない作家さんであり、先月の急な土砂降りで雨宿りのためはいった書店で見かけたというだけの文庫本ではあったが、よいものを読ませてもらった。こんな巡り合わせに、感謝している。
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2012年06月05日

愛おしい骨 - キャロル・オコンネル

 20年前のある日、森にはいった少年のうち、弟が帰らなかった。行方不明のまま月日は流れ、軍で優秀な捜査官となっていた兄が、故郷にもどる。



 周囲の慰留努力もむなしく、彼は退職し、故郷の街へ。そこに何があるのか。なぜ彼はもどったのか。

 そこでは老いた父、その面倒を見てくれている同居家政婦の住む家に、夜な夜な一本ずつ、弟の骨がとどいていた−−。

 実に、設定がいい。かき集めてもせいぜい千人程度と思われる街。たいていの人が周囲を知っていて、20年経とうがさまざまなことを覚えている。語る記憶、口にすらしない記憶、そして住民らの無言の了解。

 小規模な村で何人も人が殺されていく横溝作品的な派手さではなく、内側で進行していく事件。心が死んでいく、病んでいく、よどんでいく、その内側が、ページをめくるにつれ、やっと見えてくる。

 謎解きの物語とは直接のからみがないが、少年少女時代に恋仲になると周囲が予感したものの、現在は主人公と世間話すらしないヒロイン、イザベラ。出くわせばかならず無言で主人公に暴力をふるうこのヒロインの謎が、終盤でやっとあきらかになるのもおもしろい。
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