2019年02月25日

特殊清掃 - 特掃隊長

 このところ思うところあり、ゴミ屋敷や片付けに関心を持っている。本書のタイトルを見てそういう本であろうと予想し、電子書籍版で読んでみた。著者はプロとして片付けをなさっているらしく、ブログで好評だった記事を抜粋の上で掲載した本だという。



 実のところ、ゴミ屋敷のような話はほとんどなくて、多くは事情で人が亡くなった家の片付け(人体の残留液や血液の除去と清掃を含む)であった。それはそれで好きなテーマであるので、読みつづけた。
 怖がらせようという意図でも、一般人はしらないことだろうから知識を与えようという書き方でもなく、ただひたすら作業をこなしながら、著者は自分の頭に浮かんだことをつづっていく。読む側も、頭が下がるなどのありきたりな言葉が浮かぶよりも、まずそのよどみない文字の流れをただひたすら目で追う。
 誰かの日常が急に終わって、その生活の最後の場を片付ける人の日常が、つづられている。それをまた日常の流れの中で誰かが読む。この流れは永遠につづく。川と同じで、はじまりも終わりもなく、大きな水に溶けこんだ無数のしずくがあり、それが永遠につづいていく。

 ときに自嘲的にご自分を表現したり、「おでん(前後編)」のように、読み物としてはらはらしてしまうような場面もあるなど、文体が読みやすいというだけではなく独特の軽快なリズムが心地よく、夢中で読み終えた。

 長い本ではない。だが読み終えてみて、何人分かの時間を経験したような軽い疲れと、洗ってもらったようなすっきりした思いが残った。
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2013年11月26日

ぼくは猟師になった - 千松信也

 猟がブームなのだろうか? 以前に読んだ「女猟師」の書評にアクセスが増えて、気になっていた。書店で同じようなテーマの文庫本(こちらのほうが女猟師より初出が古い)を見かけ、手にとってみることに。

 本書によると、猟の解禁は11月15日のようである(注:都道府県の判断により異なる場合がある)。なるほど、いまが旬の話題というわけだ。アクセス増加の謎がひとつ解けた。



 著者は幼少時から動物や自然に大いなる関心をいだいていたが、大学受験の直前に獣医の志望を変更した。浪人ののち京都の大学に進学しながらも、海外でボランティアなどを経験しながら在学可能なぎりぎりの年数まで、まとめて休学をしていたという。その間、生活のためのアルバイト先で猟をしている方々と親交をもち、銃ではなくワナ猟をはじめることになる。ほどなく、登録する猟友会を探す過程で網猟(網で鳥獣を捕獲)の方々とも知り合い、どちらも学ぶようになった。

 自身の半生(といっても74年生まれなのでお若い)をからめた、兼業猟師としての歩みだしが、生き生きとしたきめ細やかな描写でつづられていく。カラーでの解体画像、実際に食しているレシピも掲載。そして狩猟期以外に楽しんでいる川釣りや海での漁(関係各所に届け出を出す)にも、話題が及ぶ。

 大学の寮を出たのちに、かつてペット納骨堂として利用され、その後は老婦人が暮らしていた山ぎわの建物を、格安で借りて住居とした著者。本来は住居として紹介できない物件であったところを、解体に便利な広いスペースが確保できるという理由で選び、トイレや風呂などの水回りも少しずつ自身の手でリフォームしながら整えていったという。解体手伝いも兼ねた試食の参加者、影響されて輪がひろがっていく若手猟師の集まりが繰りひろげられたその家の裏山は自然があふれ、引っ越し直後でさえ、家のすぐ近くにシカやイノシシの気配も感じられた。のちにそのイノシシを倒すことにも成功。

 猟、山、自然というものへの世間の考えや理解は、かならずしもよいものではなく、誤解もある。その点は「女猟師」の際に感じたこととまったく同じだ。

 この手の本は、もっともっと、増えるべきであると思う。啓蒙といっては大げさかもしれないが、人がもっと山を知ることで、いろいろな問題を見直すきっかけになるように感じている。

 文庫本あとがきによると、著者はその後に結婚され、現在はお子さんもいらっしゃる由。猟や解体に割く時間は制限されているが、これからも兼業で猟をつづけていくという。
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2013年05月18日

驚きの介護民俗学 - 六車由美

 かつては民俗学者で現在は介護職の著者が、認知症も含む高齢者のケア施設で本人らから「話を聞く」という活動をし、その体験をふまえた内容を、1年3ヶ月にわたり連載したという。本書はその連載をもとにしている。



 介護する側や周囲の利用者から見れば問題行動を起こしていると思われる人も、ちょっとしたきっかけで話のスイッチがはいれば、筋道のある鮮明な記憶を飽くことなくとうとうと語り出す。著者はそれを聞きとり、介護にありがちな「傾聴」ではなく(*1)、会話のように合いの手を入れたり質問をしながら物語をさらに引き出す。そして何回か会話を重ねて、ひと区切りついたところで文章にまとめ、ゆくゆくは文章にまとめて本人にそれを渡す。

 介護サービスを家族が利用している人間として、わたしも介護スタッフらの忙しさが尋常ではないと理解しているので、読みながら「よくこんな作業を職場が認めたなぁ…」と、驚いていた。もっとも、著者が大学を辞めた事情も介護をはじめたことも詳細には語られていないので、最初から「ゆくゆくは民俗学の経験を活かした、話を聞く介護がしたい」という思いを強く持っていたのか、あるいは周囲が著者の経歴や適性を踏まえて少しずつその方向で職務を調整していったのかはわからない。本書の最後のほうで、業務が忙しくて半年ほどまったく執筆の意欲がわかなかったとあるので、特別扱いもそれほど顕著ではなく、あくまで余力の範囲でということだったと推測される。

 もしかすると、本人も周囲も最初は普通に介護職として考えていたところ、少しずつ適性のある方向へ本人と周囲の思いが実を結んでいった…ということかもしれない。

 話を聞くことで相手が明るくなれるなら。明日も楽しいと思えるなら。介護に携わる人々は、著者ならずとも、ほんとうはほがらかに話がしたいかもしれない。朝は施設に送り出して夕方に送ってきてもらうデイサービス利用者家族にしても、ほんとうは薬でおとなしくさせるより、本人が明るくなれて薬を減らしてもよくなれたら、体への負担が減るだろうし、それがよいと思うかもしれない。誰かに彼ら(本人たち)を明るくさせる話術があったら−−

 ただ、これはとてつもなく「理想」の話だ。現実問題として、無理である。スタッフにはとてもではないが余裕はないし、家で待っている家族にしても、デイサービスが楽しかったからと中途半端に興奮されて帰ってこられたら、ますます感情の波に手がつけられなくておろおろとし、薬を考えてしまうかもしれない。

 わたしの経験としても、本人が介護サービスのあとで何かが楽しかったらしい興奮状態の日に、とんでもない被害(精神的な)に逢った経験は、一度や二度ではない。お世話になっておいて何だが、そういう日は「喜ばせようなどと思わなくていいから、普通に接してくれればいいのに、何があったのだろう」と、心の隅で恨み言が言いたくなってしまうことも(−−介護の方すみません、感謝はしてもしたりないですが、たまにそう思う気持ちは、あります)。

 著者の今後の立場と視点(学者なのか介護職なのか)はわからないが、巻末にあるような、学芸員の就職先などは狭き門だから、民俗学を学んだ人は介護の現場を経験してみてはどうかという誘いかけは、上記のような意味からも、素直には読めなかった。

 スタッフらは食事と排泄と入浴などの日常的なケアだけで精一杯のはずで、それ以上のことまで踏みこんで心の面からも介護をしていくのであれば、現在まで介護ひと筋にがんばってきた人たちや、今後の介護を担っていくスタッフたちにこそ、民俗学的な視点ではこういう考え方もありますよと、勇気づけて啓蒙し、職務に楽しみを見いだしやすくすればよいのではないだろうか。民俗学をやった人に介護を勧めるより、よほど現実的で実現が簡単なことだと思う。

 全体的には、ひとつの介護の例として、興味深く拝読した。

(*1)
傾聴:一般的な国語辞書の意味とは異なるかもしれないが、介護の現場ではときとして「聞いていますよ」という姿勢を見せて、相手を安心させること。話の内容があってもなくても、たがいに通じていてもいなくても、耳を傾けているという姿勢を見せれば、相手は安心する。
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2013年05月11日

女猟師 わたしが猟師になったワケ - 田中康弘

 人には、出会いがある。本とも、出会いがある。

 初めての書店の本棚で、たった数分後に、この本が目に飛びこんできた。周囲にあるのは平積みばかりで、これは1冊。誰かが棚から出して読もうとしたのか、ちょっと斜めにポンとおかれていた。仲間から離れて気の毒な気がしたため、もとの場所を探してあげようと手にとったら、おもしろかった。即買い。



 本書は5人の女性猟師に取材し、その猟に同行し捌く場所までをも画像とともに紹介した本である。猟で生計を立てる人がいるのか、しかも女性の体力で大丈夫なのかと思うが、取材対象になった方々だけでも5人いらっしゃる。正直、驚いた。男性も含めると、都道府県によっては専業猟師がいる地域もあるとのこと。もっとも、猟が認められている季節は1年のうち4ヶ月なので、猟の期間だけで生計を立てるほどには、食肉や毛皮の需要は、高くないようだ。ジビエ(野生の鳥獣の肉)がグルメな人々に愛好される時代とはいえ、毛皮や熊の漢方薬は需要が落ちてきているとのこと。

 猟師の家庭や猟をしている人々に囲まれて自然と女性猟師になったという人は少なく(4人目の吉井さんのみ)、ほとんどの方々は害獣駆除の必要に迫られたり、山に魅せられる出会いがあったのち猟への道が開けたり、あるいは自分で獲ったものを味わいたいと考えたなど、さまざまな理由から、生活の一部として猟をおこなっている。

 長野県、石川県、兵庫県、大分県と、彼女たちの地域は異なるが、食肉の文化が他より浸透している関西(この場合では兵庫県)には、職業猟師が複数いらっしゃるそうである。いっぽう、著者がかつて取材して親交の深い秋田県阿仁町のマタギには職業猟師(専業マタギ)はおらず、みなさん兼業だそうだ。わたしも含め一般の人のイメージでは、いかにも秋田にこそ専業マタギがいそう…ではないだろうか。

 集団でおこなう猟の方法(3人目の安本さんは単独の山歩き)、用語、猟犬の活躍など、解体までも含めて写真も豊富で飽きさせない。

 あまり知られていない職業について知りたい人は、ぜひ。

 猟に関しては、店に行けば肉があるのにわざわざ生きているものを殺すのかという意見や嫌がらせの言葉が、個人や地域に届くことがあるそうで、残念に思った。林業もそうなのだが、木を切るとよくない、自然が破壊されるといった単純な思いこみもある(本書でも同様の話が紹介されていたが、わたしも関心があった)。

 広大な原生林ならまだしも、人里に近い山は、近代になって人が管理するようになったものだ。植えて、整理して、あいだの木々を切って風通しをよくし、日を当てて、地面を健康にしておくことが必要。そうでなければ暗すぎて生きものも住めないし、地面が弱ってしまう。土砂崩れも起きやすくなる。適度に人が管理して、生きものとの共存を考えてこその山だ。放置しておいて環境によいはずがない。

 猟関係の団体の中には、このような取材を受けて、出版されて、嫌がらせがあったらどうしようという心配があるかもしれない。だが黙っていては人は知らないままで、誰もわかってくれない。これからも、いろいろな折に触れて、猟について知っていきたいと思うし、その機会が増えていくことを祈っている。
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2012年06月06日

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本 - 大熊 一夫

 イタリアでは1978年に法律(通称バザーリア法)が制定されたことで精神病院の解体がはじまり、内部にいた患者らが医療スタッフの助力のもとに町で自主的な共同生活を営むなど、世界でも例を見ないほど解放が進んできているのだそうだ。



 いっぽう日本では、1964年にライシャワー米国駐日大使が統合失調症の少年に刺されて重傷を負った事件をきっかけに精神衛生法の改正が強く叫ばれたこともあり、そのころ時代としてはまさに「患者は精神病院に収容しろ」という流れの中にあった。

 もっとも、80年代以降は入院患者虐待や不審死事件が大手の精神病院で発覚しはじめ(大和川病院事件、宇都宮病院事件)、結果として95年にふたたび法律が改正された。地域の行政のあり方が精神病院の偏在を許してしまった時代が長く(例:P.199によれば、80年代に住民あたりの精神病院数は、都内であっても格差120倍以上であったという)、また、薬や拘禁に依存する診療方針も根強く、本書で描かれているイタリアの事例には、まだまだ及ばないのが実情のようだ。

 本書は朝日新聞、朝日ジャーナル、週刊金曜日などに連載した記事をもとに、追加編集したものであるとのこと。

 冒頭から、著者自身がかつて(1970年)アル中を装い12日間の入院をした体験からはいる。かなり衝撃的だが、これは以前の著作やその後の出版物でも書かれている話のようだ。わたしは初めて読んだので、その内容と行動力にショックを受けてしまった。ろくに診察もされず、退院を普通に申し出ても許されなかったが、家族が「入院費が払えない」と言ったら、出してもらえたという。

 メインの部分としては、イタリアでの取材をもとに、バザーリアという人物と法律制定までに協力した数多くの人々についてつづっている。イタリアも以前は患者の拘禁や放置、虐待が見られ、多くの患者や司法精神病院(精神病の人が法を犯した場合などの収容施設)は、積極的に外へ出すほどの理由付けが見たらないか、引き取り手がないからそのまま留め置くうちに、さらに状態が悪化してしまった人たちであふれていた。

 バザーリアという人物の登場は、まさに時代への大きな風穴となった。協力者がこの時期に多く現れたこともまた、運が彼に味方した、イタリアという国に味方したのだろう。

 そっくりイタリアに倣えとは言わないが、日本にもまた、何らかの形でのバザーリアが現れることを祈っている。
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