2014年05月20日

世界の美しさをひとつでも多く見つけたい - 石井光太

 どうしてこの本を読もうと思ったのか、つい数週間前のことなのに思い出せない。何冊か注文しようと思っていて、ついでなので新書サイズのものを何かと考えたとき、あれれポプラ新書ってなんだっけ、あまり知らないぞと、出版社名で興味を感じた。創刊から間もないものらしかった。それで何となく、注文した。

 そのとき書籍名から受けた印象は、実際の内容とはまったく逆で、現実離れした「きれいなもの」を追う本かもしれないというものだった。だが、そう危惧しつつもけっきょくは注文したのだから、やはり何らかの予感があったのかもしれない。



 著者はこの十年ほどでとくに活躍されているドキュメンタリー作家であるらしい。ご自分の幼少期から感じていた世の中への思い、たとえば育った土地が成城であったためお坊ちゃんと見なされてきたことなど身をもって感じた社会の格差や、周囲の邸宅や同級生の家庭で実際にあったバブル終焉のすさまじい破壊力などを綴りながら、なぜ自分は二十代のうちに作家としてデビューすることを考え、それをなんとしても実行に移そうと奮闘していたかを語っていく。

 アジアへの旅。そこで見た難民キャンプの光景。著者はそこで、のちのちまで頭から離れない体験をする。その後も資金を確保しつつ何度もアジアを中心に滞在するも、ときには心身ともに疲弊して、ぼろぼろになりながら、また新たな題材を見つけて取材を重ねる。その体験の過酷さは、読む側にときとして「なぜそこまで」という思いをいだかせるに違いない。

 一概に誰が善悪であると決められないほど深い社会の闇、被害者が加害者になっていく構図が、どこの国にも出てくる。マフィアにさらわれ赤子のうちは物乞いの小道具として使われ、そののち本人に物乞いさせるため故意に体を傷つけられる子供たちが、長じてからは自分が赤ん坊をさらい、加害者になることもある。また、襲撃した村の少年に家族を殺させ少年兵へと育てた人間が、実は本人も幼少時の被害者であることもある。善悪では片付けられない問題に、人は無関心でいることもできるかもしれない、知って無気力になってしまうかもしれない、だが著者のように、それを綴って人に知らせることを使命と考える人もいる。

 書籍名でもある「世界の美しさ」、人が見つけようとする光とは何か。それは純粋ではあるかもしれないが、とても重い含みのあるものだ。

 海外の取材がひと区切りついて日本国内の題材に目を向けつつあった著者は、東日本大震災を体験する。そして宮城を中心に被災地入りし、遺体安置所を取材した。丁寧に人に接するからこそ描けるものがある。関係者や遺族からメールが来た描写が胸を打つ。真剣に向き合って、人間関係を築きながらの取材だからこそ、たがいの真摯な思いが新たな出会いを生むのだろう。

 本書は著者のこれまでの活動や著作にまったく触れてこなかった人間にもわかりやすく、簡潔ながらも行間からにじみ出てくるものが、確実に胸を打つ。ほかの作品も、ぜひ読んでみたいと考えた。わたしは何もできないただの個人だ。社会的な影響力もなければ実行力もない。だが綴って人に知らせることを使命と思う作家がいるなら、読んで何かを感じることこそ、ただの個人ができる最大の貢献だろうと、考えてみることにする。
posted by mikimarche at 01:05| Comment(0) | 実用(その他)
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