2013年10月13日

安部公房とわたし - 山口果林

 安部公房はわたしにとって思い出深い作家だ。戯曲「友達」は高校のとき先輩らが演じ、わたしは新人として裏方にいた。砂の女は忘れようにも忘れられない強烈なストーリー展開。そして、タイトルからして奇怪な、箱男。強烈な個性をお持ちの作家だった。

 だが、人物像としては、何も知らなかった。いつお亡くなりになったのかも含め、記憶にない。



 山口果林は、大好きな女優のひとりだ。聡明な雰囲気、どんな役柄でもこなす芸達者なところ、そして、当時はそんな言葉はなかったかもしれないが、ときおりテレビのクイズ番組などでうかがえる「意外に"天然"なのか」の印象。

 彼女がこうして、エッセイの著者として目の前に現れてくるまで、安部公房と長く恋愛関係にあったことは知らなかったし、氏の死亡前に最後の救急車の搬送元になったのが自宅だったためマスコミに追われたことも知らなかった。海外の旅先で日本人観光客が「あの作家の愛人」とひそひそ話をしているのが聞こえたというのだから、相当に騒がれたのだろう。だがご本人も書いている通り、仕事そのものが激減したという事実はなかったそうで、それまでの信頼の積み重ねが、厚い人間関係にむすびついていたのだろう。

 著者を女優として考えるとき、なぜか思い出すドラマのひとつが、宮部みゆき原作の「火車」だった。そのドラマでは、原作とは異なる弁護士像を設定しており著者はその弁護士役だったのだが、設定変更のためなのか役に乗り気でないのか、あまり輝いている印象がなかった。山口果林を出しておいてこの扱いかと制作者側に対して不満に思ったのだが、いまにして思えば上記スキャンダルまもなくのころの撮影であり、著者はしばらくのあいだ精神的に疲れて完全自殺マニュアルを愛読していたほど、気力をなくしていた時期に重なるらしい。

 名演技をしても人の心に残るが、なにやら薄っぺらいという印象までもが記憶され、記録されていく。それが演出や設定のせいではなく本人の気力によるものだった可能性もあることが、二十年近く経ってから世に出てくる。女優というのは、ある意味ですさまじい職業だ。時間軸に沿ったフィルムに目をこらせば、いつでも過去がそこにある。

 さて、本書である。

 まずは、しばらく会えずにいた安部公房が退院し山口果林の自宅を訪れたところから。氏の家族から具体的な治療状況や症状を聞かされる立場になかったため、食事をさせて薬を飲ませることくらいしか念頭になかったが、やがて事態が深刻であることに気づき、氏の家族を介して救急車を呼ばせる。このとき複数の不運が重なり、著者はその後に何度も、自分で直接すぐに救急手配していれば、少なくとも死期は異なったのではと自問する。

 いったん、氏の死去の場面から、大学時代の出会いへと移り、話は自分の幼少期(歴史ある日本橋の書店の娘であり茅場町育ち)から大学までの日々を語る。そしてふたたび、安部公房との日々、亡くなるまでにもどって、没後もつづる。

 二十年を節目に、多くを考えることができるようになった女優。自分で書かなければ正式な場面からは埋もれてしまっている日々を、描いておくことにした心境の変化。それはとつぜんではなく、少しずつ、いろいろなきっかけが積み重なったもので、最終的には二十年かかった。

 最後に、安部公房とふたりでサスペンス小説の共同執筆を試みたこと(賞金目当てに)、ファミコンでドラクエ3の発売に合わせ量販店で並んだことなど、意外におもしろい面も描かれていることを、付記しておく。

 これからも彼女を見つづけていきたい。女優としても、文筆家としても、がんばっていただきたい。
posted by mikimarche at 16:05| Comment(0) | エッセイ
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