よもや300年前の作品に対して「ネタバレした」という批判がくるとは思えないので、あらすじを書いておくと、史実と虚構を見事に交えながらパリの宮廷での乱れた色恋沙汰などを背景にしつつ、クレーヴ公に嫁いだばかりの若い女性とその思い人、クレーヴ公を中心に描く人間ドラマだ。
描かれる立場である「クレーヴの奥方」は本当の恋を知ることもなく育った10代であり、クレーヴ公に嫁いでまもなく別の貴族に一目惚れしてしまうが、立場をわきまえて貞淑をつらぬこうと努力を重ねる。そして相手も彼女に恋い焦がれ、相思相愛であることに双方がうっすらと気づいている、という設定。
いまの価値観で考えると、この相手の男(遠くからでも人目を引くほど美形の貴族で、女にふられたことがない)は、かなりの執着心で主人公を追い詰める。顔を合わせれば相手にも世間にも気持ちが知られてしまうからと、必死に会う機会を減らそうとする主人公に、男は断りにくい用件を作ったり、わずかな機会に乗じて家にやってくる。
主人公は母親から立派な教育を受けて育ったため、夫以外の人間に恋心などをいだきたくないからと、隠居してでも(ねんのために書くが主人公は10代である)宮廷から遠ざかりたいと願うが、そうした苦悩を誰かに理解してもらうには、男への恋心を知られてしまう危険がともなう。
やがて、奥方は、夫にその秘密を打ち明ける。あなたとの生活を守るためであり、自分は心静かに暮らしたいだけなのだから、宮廷から下がらせてくれ、と−−
新しい訳で読んだことや、わたし自身が高校時代よりははるかに西洋史に明るくなっているためだろうが、素晴らしい作品であるとの評価をあらたにした。
男女関係が乱れに乱れまくっている宮廷において、親から受けた教育をしっかりと守り、醜聞を何よりも恐れて身を律する主人公。終盤ではついに男に「あなたはいつかわたしを忘れる」とも言い切る。やたらとかっこよいのである。
高校時代にわたしがこの本を読んで何よりも気持ちがスカッとしたのは、最後の文章であった。「やった、主人公が勝ったぞ」という思いだ。そして、しょせんこの男は…という小気味よさをかみしめた。
だが、記憶が違っていたのか、翻訳した本の底本が何種類かあるのか、今回の訳では最終段落の印象がまったく違っていた。訳し方でここまで変わるとは思えないので、原文に何種類か違いがあるのかもしれない。
(のちほど編集: 英語版をダウンロードしてきたところ今回の日本語訳と同じようだったので、わたしの記憶違いかもしれない)