2019年09月22日

こころ傷んでたえがたき日に - 上原隆

 書籍のタイトルと、収録されているという内容にクローン病のことや、柴又の女子大生殺害事件のご両親が出てくると聞いていたため、以前から読んでみたいと思っていた。それ以上のことは何も知識がないまま、割引価格でセールされているのを見つけ、電子書籍をダウンロードしたのだが…



 実はあとがきを見るまで、どういった本なのかがわからずにいた。首を傾げながら「なぜこのタイトル」、「いったいどういう構成の本か」、「わけがわからない」と思いながら、ページをすすめていった。

 本書のタイトルについては、石川啄木「一握の砂」所収の詩にある「こころ傷みてたへがたき日に」から来ていることが、目次の前に書かれていたのだが、そのあとはいきなり22編の話になる。

 おそらく最初の一編が、それ以降の話に存在する聞き手と話し手という構成ではなく、妻がいかにして自分との暮らしを捨てたかという一人称の話であったことで、よけいに混乱したのかもしれない。その文章の最後に括弧書きで、送られてきたノートを再構成して載せたという著者の言葉があったのみだ。
 さらに、これは著者のせいというわけでもないだろうが、書籍の宣伝として「感動する」という強調がなされていたことにも違和感があった。この一話目では感動を呼び起こしそうにないが、いったいこれから何がはじまるのか、と。

 その後は、現実と脚色を混ぜた文学の世界なのかと思ったが、意外にも実在している人物名や、具体的な団体名も出てくる。話した相手の言葉に基づいての文章構成だが、どの程度の裏付けをとって書いているのかまでは、わたしには判断できない。

 ひどいストレスの職場環境にいた女性が退職して過去をふり返った話(あなた何様?)や、離婚後に父親が子供たちを育てている話(父親と息子たち)、突然のクローン病でいったんは普通に食事を摂ることもできない生活になった男性と支えてくれた母親の話(僕のお守り)など、いろいろな人の人生をつづる。全体としては高齢者の孤独や、ホームレス、介護問題、家庭内の虐待など、社会における弱者的な視点からの話が多い。

 とても興味深いと思ったのは「先生」という一編だ。教師経験者の老婦人が、ホームレスとなっていた40代の男性と知り合い、ちょっとした経緯から家に招き入れ、風呂などを提供しているうち数年以上の同居生活になっているという。家事を手伝ってもらうなどはしているようだが、なかなかない話で、おもしろいと思った。

 あとがきまで読んでようやく、雑誌「正論」に100回連載した記事から選んだ22本をまとめたということがわかった。全体のまとまりのなさのように思ったのは、ひとつには書かれた年代が違うといったこともあるのだろう。

 それにしても、情報提供者や取材相手について、人物特定を困難にさせる脚色がどの程度まではいっているのか、あるいはまったくないのかといった、文章を書く姿勢についての描写は、なかったように思う。ノンフィクションと呼んでいいのかどうかは、わたしには判断がつかない。

 読んでよかったかと聞かれれば、悪くはなかったように思うものの、宣伝の仕方と書籍タイトルは、わたしの感覚とはちょっと合わないとだけ、書かせていただこう。
posted by mikimarche at 11:35| Comment(0) | 実用(暮らし)

2019年09月16日

新にっぽん奥地紀行 〜イザベラ・バードを鉄道でゆく - 芦原 伸

 わたしの大好きな書であるイザベラ・バードの「日本奥地紀行」は、100年以上も前に日本を旅した英国人女性の体験記である。横浜から東京、日光まではそこそこに順調であった旅も、まだ大規模な鉄道網も完成する前の時代であり、以降の道のりは苦難を極める。だが彼女は楽な旅をするために来たわけではなかった。すでに40代後半であり、若いころに病弱であったため転地療養をきっかけとした旅の記録をイギリス帰国後に出版するという、いわばプロの旅行家だった。

 道なき場所を分け入るようなゆっくりとした移動、そして荒天や災害により数日以上も僻村に足止めといった状況や、衛生面での問題や食生活での数々の苦難を乗り越え、バードは北海道でアイヌの人びとと交流をし、言葉も取得しようと多くのメモをとった。
 当時は多くの日本人がアイヌを蔑んだり、政策的にも不条理なことを押しつけて苦しめていたが、当時のヨーロッパの考えとしてはアイヌは白人系という説もあったそうだ。まだ誰も知らない地(日本)の、その隅に押しやられている(白人系かもしれない)アイヌを、誰よりも早く記録しておきたいといったプロの旅行家の熱意があったのかもしれない。
 その後、帰京ののちにバードは西日本にも足を伸ばしたという−−もっとも、日本語で広く普及している本は、東北と北海道以外が割愛された版を底本とした抄訳であるため、わたしも西日本に関しては未読である。



 さて、本書はバードが順調なときでも1日30キロ程度かけてゆっくりと移動した足取りを、できるだけ鉄道の各駅停車で、それが無理ならばタクシーなども併用しつつ、3年かけて回った記録である。旅と鉄道という雑誌で連載されたものをまとめたとのこと。

 バードの時代に描かれた風景や、人びとのつましい暮らし、衛生面では閉口させられつつも、人の心がきれいだったころの描写と、現代の鉄道の旅や現地での交流が、交互につづられる。取材に同行した若いスタッフを現代のイトー(当時の通訳であった伊藤鶴吉)になぞらえつつ、道中をおもしろく語っていく。

 それにしても、バードに日本国内を自由に移動できる通行手形を出した横浜の英国大使との関係や、日本各地にいる英国国教会ゆかりの人びととの交流を、ある種の諜報活動のような意味合いでとらえることは適切かと考えつつ筆を進める筆者には、それが妥当であるかどうかよりも「ああまったく考えてもみなかった」と、新しい視点をもらった気がした。

 本書を読むまで知らなかったことだが、イギリスで最初に出版されてのち、バード自身の手により編集されて短くなった版など複数が存在しているとのこと。西日本に言及しない普及版が出ているのは、わたしが以前に読んだ平凡社ライブラリーのものがそうであったため想像していたが、内容の最後のほうを割愛しただけではなく、その本は描写が短め版だった可能性がある。バードが新潟で街を歩き買い物をした話は読んだ記憶がないが、ほかに出ている完全訳のほうには、それがあるらしい。

 原著は著作権が切れているため、以前から英語で原文をダウンロードしてあるが、やはり日本語で完訳版が手にはいるようであれば、また読んでみたい気がした。
posted by mikimarche at 23:55| Comment(0) | 実用(歴史・文化)