2019年07月08日

ある男 - 平野啓一郎

 短時間で小説を読んだのは、いつ以来だっただろう。kindleでダウンロードし、気づけば2日以内に読み終えていた。まとめて読んでは場を離れ、何回かに分けて読んだので、おそらく実質的には半日での読了だったかもしれない。

 著者の小説を読むのは、おそらく初めてだ。普段の作品からこういう構成なのか今回のみかは不明だが、小説家がある男と出会ったシーンが冒頭にあり、以降はその「ある男」の話となる。小説家はその後は現れず、つづり手に徹する。



 過去を捨てた男。語られた言葉を現実のものと信じて運命をともにしていた女。そして発覚。いったいほんとうは誰だったのかを知りたくて救いを求める女に協力する、旧知の弁護士。
 たんねんに、覆っていた泥を払いのけるように事実を拾い上げていく弁護士の姿が、彼自身の生い立ちや現在の家庭とともに描かれる。

 家庭での確執、家族に犯罪者がいたなど、人生を捨ててやり直したいと思う人びとには理由がある。出自や環境を選べなかったそうした人たちの思いと、主人公自身の在日コリアンへの思い。そして弱者に広く手を差し伸べる彼と、現実的な範囲での援助にとどめるべきと考える妻とのあいだに生じる齟齬。さまざまなことを描きながら、この物語は収束へ向かう。

 わざとらしいような感動を生まない話だが、自然に頭にはいる流れだった。たまには小説も悪くないと、ひさびさに感じた。
posted by mikimarche at 15:45| Comment(0) | フィクション

2019年07月05日

もしも魔法が使えたら 戦争孤児11人の記憶 - 星野光世

 発売当初からずっと、いつか読むと心に決めてAmazonのウィッシュリストに入れておいた本。8月の終戦記念日より前に読み終えておきたいと、順番を繰り上げた。
 ある日突然に親や家族を失い、親戚らからは冷遇され−−心理的ないじめのみでなく強制労働や人身売買業者への売り渡しもあった状況で、どうにか生き延びた11人が、体験をつづる。



 長く丁寧に綴る人もあれば、ほんの短い文章もある。だがそれでもそれぞれの行間には重みがある。
 頼る人もなく、世間や行政からは見捨てられ、浮浪児の「狩り込み」と呼ばれた強制収容では、檻に入れられ水をかけられたという。別の体験者によれば東京都の人間にトラックに乗せられて、茨城県の山中に集団で捨てられたという。

 戦争の犠牲者であり、家族を失った子供たちに対し、野犬のような扱いである。しかも日本の戦後社会は、豊かになってからでさえもその人たちに詫びるどころか、存在を語り継ぐことすらしてこなかった。少なくともわたしは、浮浪児と呼ばれた子供たちの強制収容や親戚による人身売買など、最近まで知らずに過ごしてきた。

 本書は、戦後を生き延び、連れ添った夫が先立ったのちに、ふと色鉛筆を手にとって絵を描いてみた著者の思いから生まれたものである。戦後から70年近くを経て当時を思い、絵を描き、文章を添えて自費出版したものが、この講談社版につながった。

 それほど悲惨な日々を送ったのに、描く絵は透明感すら感じさせる純粋なものだ。理屈や雑念はそこになく、ただ当時に家族がいてくれたらと、それで幸せでいられたのにという素直で素朴な思いがそこにある。

 もしも魔法が使えたら−−
 ほしいものは、豪邸でも金塊でもない。現代人の多くがあたりまえに享受している、素朴なものだ。
posted by mikimarche at 23:25| Comment(0) | 実用(歴史・文化)