2015年12月09日

ミツコと七人の子供たち - シュミット村木眞寿美

 わたしがクーデンホーフ光子(青山みつ)について本を少なからず読むようになったのは、何年くらい前だっただろうか。この本の著者シュミット村木眞寿美氏のものは、これで二冊目だったと記憶している。もとはといえば70年代に大和和紀のコミックでレディー・ミツコという作品があり、日本からヨーロッパに渡った女性の存在だけは、ずっと気になっていた。

 活字としてまとまった形で読んだのは中でも定番とされている「クーデンホーフ光子伝」が最初だったと思うが、これに不満があった。そのため、ほかに本はないかと、何年もずっと読む機会を狙っては、ときには積ん読し、ときには貪るように読みながら、現在にいたる。そして今回の「ミツコと七人の子供たち」は、書名から受ける軽い印象とは異なり、もっとも重く、もっともわたしの思いをかき立てるものとなった。

 最初に読んだ定番の「クーデンホーフ光子伝」において何が不満だったかというと、視点がかなり偏っていて、日本から出てヨーロッパに渡った女性が汎ヨーロッパ主義の(思想面での)礎となったという、その点に話題を集結させようという意図があまりに強かったためだ。最後のほうは多くのページを割いて汎ヨーロッパ主義を説いた次男リヒャルトの記録や物語となっていた。わたしにしてみれば、冒頭でさらりと1回のみ語られた「日本から同行した乳母ら」がどうなったのか、何年くらい経過してからミツコは周囲に日本人のいない環境でさみしさを感じていたかなど、そういった“普通の人が疑問に思いそうなこと”の欠如に耐えられなかった。



 シュミット村木眞寿美氏の作品「クーデンホーフ光子の手記」は、ミツコが夫の死後に思い立ち、子供たちに父と自分の話を伝えるため思い出話を(娘らの力を借りて)口述筆記した手記を著者が発見、図書館で音読し、録音して持ち帰ったものを編集して日本語訳にしたものだった。ミツコが語りたい美しい思い出にあふれ、つらかったであろうことや、東京の親族と夫のあいだにあったであろう確執や金銭のやりとりは、まったく残されていない。そして本作において、著者はミツコや子供たちが存命であったときを知る老人たちに取材した模様、日本に残る縁者の方との出会いと交流、ミツコの最愛の夫にずっと仕えていたアルメニア人の従僕バービックの孫との対面など、さまざまな角度からミツコの晩年や子供たちの(多くの場合はつらく悲しい)運命について、克明に、あるときは残酷なでに綴っていく。

 著者の本をこうして二冊読んでみて、そして、わたしは労せずに読んでいる立場であっても、ミツコに関してわたしや著者を動かしている思いは通じるところがあるのではないかと考えるようになった。一読者であるわたしがこれを書くのは、たいへん失礼なことであるかもしれない。著者はわたしと同様「普通の人が異国の地で、身分も違う慣れない立場で、現地にひとりぼっちだったらどんな暮らしをしていたのだろう」という純粋な思いが最初はあったのだろう。そうするうちに本人の思いに踏みこまず状況の判断から「こうであったに違いない」と決めつける他書の見解などを見るに付け、自分がもっと知りたい、自分がもっと掘り下げたい、そして自分のような考えの人にその掘り下げたものを見てもらいたい−−そうした強い思いに駆られて書きつづけた二冊だったのではと、思わずにいられない。

 著者が自分の娘たち(ドイツ語ネイティブ)に資料の判読と整理を頼んで、あげくに投げ出された描写が興味深かった。ミツコが晩年になって極端な国粋主義に走ったであろう時期(日本に帰れないことは若いうちから覚悟していたものの、齢を重ねて「自分の故郷は素晴らしかった」と美化するあまりに、自分の子供たちから話も聞いてもらえなくなったであろうころ)の文章で、著者の娘らはミツコの子供たちと同様に「もう、やらない」とうんざりし、拒絶したということだった。自身も母である著者は、ミツコが大昔の日本しか知らずにいても極端に自慢してしまう、美化しすぎて凝り固まったことを言ってしまう気持ちが理解できる気がしており、さみしさやいろいろな要因から文章や態度に出てしまったのであろうと推測したが、自身の娘らには、それが通じなかったとのこと。

 長く外国に暮らす著者自身の環境や、母であることなどが、著者とミツコをつなげているのかもしれない。それを考えてもなお、やはりすさまじいまでの集中力と行動力である。もし今後も著作があるのであれば、そのときはぜひ拝読したいと思っている。
posted by mikimarche at 22:55| Comment(0) | 人物伝