2018年08月26日

HTML&CSSとWebデザインが1冊できちんと身につく本 - 服部雄樹

 このブログが7月まで掲載されていたドメイン(mikimarche.com)では、最近リニューアルをおこない、小規模のお菓子屋さんがウェブで情報提供をしたい場合に役立つ情報を掲載している。そういうサイトを開始した以上は、自分でもHTMLやCSSについて学び直したいと思い、本書を購入してみた。今回はKindle版(電子書籍)での購入だったため、作業があっという間に進み、約10日で内容をすべて実践してみることができた。
(ちなみにKindle版と活字版は同価格であるので、購入はお好みで、どちらでも)



 HTMLとは何か、CSSとはといった言葉がよくわからないレベルの人であっても、丁寧に解説してくれている。また、わたしのように大昔に古いバージョンのHTMLならば学んだが最近のHTML5は知識があやふやといった人間にも、頭の整理ができるようになっている。正直なところ、思ったほどHTML5は難しくないし、CSS3と組み合わせることでデザインの可能性がかなり広がることが体感できた。かつてならば画像を多用して対応したような画面の効果が、HTMLとCSSだけで実現できることも多い。
 たとえば20年前ならば、カーソルが置かれた場所のリンクボタンの色を変えるといった場合、画像を2種類用意することが多かったように思う。だが現在ではカーソルが置かれたとき画像の透明度を変更して色が変わったように見せることもできるし、画像ではなく文字と背景色だけなのに見やすいイフェクトをかけることも簡単である。

 本書では、まずサンプルとして短いHTMLを作成し、それを改編しながら別名保存しては、各種のページづくりが体験できるようになっている。結果として作成されるHTMLは6ファイル、それらのデザインを担当するCSSは1ファイルできあがる。写真撮影の専門家が仕事のウェブサイトを持ったらという設定なので、練習しながら作っていくページの仕上がりも、視角的に美しい。

 HTMLコードのすべてを手で打たなくても、Kindle版なら多少は画面コピペという技が使えるのだが(余分なスペースやKindle版からコピーしたという情報が含まれるのでそれらを除去する手間はかかる)、もし活字版を購入した場合であっても、心配は要らない。最初に関連ファイルをダウンロードさせてくれるので、わからないときはそれを見ながらスペルミスなどを見つける作業も容易だ。

 余談だが、綿密に1行も飛ばさず入力している自信がある人であっても、途中でふり返ってはいけない。実は6章のあたりで、それ以前に作ってきれいに仕上がったページのデザインが大きく崩れる。気づかなければよかったのだが、たまたま終わったページを見てしまい、わたしはそこであわててしまった。何が悪かったのかと時間をかけて調べてしまったが、そのこと(いったん崩れる状態)自体が、正常だったらしい。しばらく読むと著者が「さて、以前に作成したページのデザインが崩れてしまっているので、ここで直しましょう」と…あれは心臓に悪かった。

 かなり丁寧な本である。おすすめ。
posted by mikimarche at 22:55| Comment(0) | 実用(その他)

2018年08月04日

旧ブログを閉じましたので、こちらが正式なブログとなります

 先月こちらへの引越を予告しましたが、それ以来、ときどき古い書評を移動する作業をしておりました。本日現在で、こちらには57本の書評を掲載しております。

 7月末で旧ブログを閲覧できないように設定しました。
 旧ブログと、それ以前にネット上に載せていた2006年ころからの書評でよいものが見つかりましたら、できるだけ当時の日付を尊重しながら、掲載したいと思います。

 今後とも、Biblio Mikimaruを、よろしくお願いいたします。
posted by mikimarche at 22:50| Comment(0) | お知らせ

2018年07月08日

このブログについて

 以前から運営しているBiblio Mikimaruという書評ブログを、諸事情によりこちらに移転継続することにいたしました。旧ブログはまだありますが、その一部は、こちらにも転載の予定です。こちらが落ち着いてきたら、旧ブログのほうを終了させます。

 よろしくお願いいたします。
posted by mikimarche at 11:20| Comment(0) | お知らせ

2018年06月21日

私の夢まで、会いに来てくれた - 金菱清(ゼミナール)編

 出版直前から、ずっと気になっていた本だった。構成を担当された角田奈穗子氏とはかねてより多少のご縁があり、Facebook等で本書の出版について何度も案内を拝見していたが、なかなか書店で現物に巡り会うことがないままに日々が過ぎてしまった。震災関係の書籍をまとめて書店取り寄せの決意をするまで3か月以上かかったが、偶然にまかせず取り寄せしてでも、読んでよかったと思う。



 本書は、前回このブログで掲載した「霊性の震災学」と同様に、東北学院大学で金菱清氏が率いる「震災の記録プロジェクト」として、2017年前半に学生らが被災者の方々にお話を伺った「夢」の記録を紹介し、まとめたものである。金菱氏は存じ上げないが、学生らにこの難しいテーマ(話の切り出し方を間違えたら学生が先方から怒られてしまいかねない「夢」の話)を与えて送り出し、そしてこれだけのものを引き出してこさせることから考えて、おそらく学生らとの信頼関係が、かなり強く確立されているのだろう。ひとつ間違えれば無謀な策であり、鬼教官と呼ばれかねない。

 先にあとがきについて書いてしまうが、金菱氏は阪神淡路大震災を大学入学直前に経験し、そして教員としては東北学院大学で東日本大震災を経験しているそうだ。大手のメディアに出にくい、現地の方々の体験や思いについて、感性の大きなアンテナをお持ちなのだろう。

 本書から、あふれるように飛び出してくる夢の話を、ここでひとつひとつのご紹介はしない。あのときああしていれば違ったかもしれない、自分があのとき引きとめていたら。もし、あのとき−−そんな話者の叫びが、できるだけ簡素を心がけたのであろう、おさえられた文章の行間から、ともすれば紙を突き破って出てきそうな勢いで聞こえてくる。文字になった言葉の裏に、間違いなく何倍もの思いがある。

 聞き手と話者の相性もあるかもしれないが、全員が語りたくてたまらなかった人ばかりではなく、調査に来た学生さんに丁寧に接してくれたという印象をもった話もあった。逆に、この人(話者)の話をこんなにきれいに、短くまとめてしまっていいのか、この人は本一冊になるくらいにすごい思いをいだいているのに−−と感じさせられる話も、かなりあった。割合としては後者のほうが多く感じられた。

 これからも、震災の記録プロジェクトは、つづけていかれるのだろうと思う。一度に全員の思いをまとめることはできないが、テーマが異なる別の切り口を見つけてインタビューを継続していくことで、新たな人が自分の思いを口にすることができるのだろう。そしてそのときの「口にする」、「表現する」ことが、その人たちにとって癒やしであり救いとなるのだろうと、信じている。

 今後も、震災の記録プロジェクトを、応援していきたい。

 さて、こういう内容を書くことは本来の書評には不要ではあるが、世の中で「お約束」のようになってしまっているため、わたしも東日本大震災のことを書いておく。
 わたしは北関東育ちだが、義父母は岩手県沿岸で生まれ育った。震災のころには生活の大半を盛岡に移していたが、家は沿岸にも残していた。その日にどちらの家にいたかで運は大きく分かれたはずだ。盛岡にいたことがわかったのは翌日だった。だが連日のテレビ映像で自分たちの故郷が津波に呑まれるのを見て、ただでさえ認知症気味だった老夫婦は完全に心を閉ざし、義父はその数ヶ月後に突然死した。ある意味で、震災の影響があったのではないかと、わたしは思っている。
posted by mikimarche at 23:15| Comment(0) | 実用(歴史・文化)

2018年05月26日

呼び覚まされる 霊性の震災学 - 東北学院大学 震災の記録プロジェクト 金菱清(ゼミナール)編

 出版当時から気になっていた本を、ようやく読むことができた。
 気になったきっかけは、当時この本に「幽霊」の項目があることが、大きな話題になったためだ。外国の新聞記事にもひときわ大きく幽霊の話が紹介されていたのを覚えている。そして英語で紹介された記事のコメント欄には(それらコメントも英語だが)、きゃーという軽いものやら、読み手のお国柄によっては真剣に興味をいだくものやら、さまざまな反応があった。

 それは日本の紹介記事でも似たり寄ったりだったと思う。わたし個人は幽霊話も嫌いではないが、それよりも民俗学的な面から大きな関心をいだいた。幽霊話は一部であるにせよ全体を構成する大きな柱は、現地の学生らによるフィールドワークだという。この21世紀の現代でさえ、人に語るには繊細すぎるはずの内容(しかも内容はそのつい数年前に発生した大きな出来事にまつわる)が、第三者より採話可能であったことに、驚きを隠せなかった。

 いつか読みたいと思っていたが、今年ちょっとしたきっかけがあり、この本のほかにも、東日本大震災のその後をつづる本を二冊購入した。まずいちばんに読んだのが、本書だった。



 各章をそれぞれの人物が担当している。

 冒頭でまず、編者でもあり第五章を担当する金菱清氏(東北学院大学教授)の指摘が胸に突きささる。日本のメディアは震災のご遺体などを、画面や紙面で見せないという点だ。理由はさまざまにあろうが、その結果として、その地にあった"生"が"死"になったことを見る側や周囲が直視できなくなる。最終的には何人がなくなった、そんなことがあった、いまは現地はこうなっているといった言葉や数字で、表面的なさらりとした記憶を人に植え付けてしまう。

 本書の貴重さは、数字の大きさやセンセーショナルかどうかではなく、現地に当時も取材時も暮らしていた、普通の人々から言葉を掘り起こし、記録している点にある。
 また、遺体や埋葬のご苦労がなかなか外部に伝えられることのない状況で、第六章「672ご遺体の掘り起こし」のような話は、被災地の表面的なご苦労にしか思い至らなかった人間として、我が身を恥じるほどの衝撃があった。ご遺体の身元がわかるまでは保存しておきたくてもドライアイスがない。道路事情や焼却炉の事情で火葬もなかなかできない。だが腐敗は進む。そこで宮城県では仮の場所にご遺体を埋葬して、2年以内を目安に掘り起こして火葬するという方針を打ち出したそうだ。だが墓地でもないところに仮に埋葬された人々は、あまりにも気の毒である。地元の葬儀社がたいへんな労力で、約4か月で掘り起こしと火葬を完了させたとのこと。
 この章だけでも、目が覚める思いがした。自分には、知らないことがまだまだ多すぎると気づいた。

 東北のこの震災にかぎらず、大きな災いのあとには、忘れたい人、忘れたくない人、忘れてはいけないと思う人、死を語ることが難しいならばそこに大勢の生きていた人がいることだけでも伝えたいと思う人々など、さまざまに多くが存在する。思い出としての碑を願う人、祈るための碑を求める人、埋葬する遺骨は流されていたとしても新たなスタートとして墓地の移転を考える人々。それぞれの形がある。本書ではさまざまな視点から各人が取材をし、現地の人々の思いを、さらに多くの人間たちの記憶に残すため、文字という形にしてわかりやすく刻んだ。

 第五章「共感の反作用」は、この中でもとくに、すすめたい。悲しみは、亡くした家族の人数ではない。実際に被災地で避難所にいたかどうかの経験でもない。都会に暮らし、現地の家族の多くが亡くなった人がいる。日々を生きるのがやっとなほど打ちのめされ、何年も立ち直れずにいたという。人それぞれに、目に見えるとはかぎらない苦しみをいだいている。
 つい人は、あなたは揺れを経験していない、津波を近くで見ていない、家族も亡くなっていないという目で、被災者とそれ以外を線引きしてしまうことがあるかと思う。だが、今後は慎重でありたい。

 さて、話題の目玉となっていた第一章「死者たちが通う街」では、石巻に聞かれたタクシーに乗る幽霊の話が紹介される。タクシーに乗ろうとした(もしくは乗った)幽霊は、ほとんどが年少者か若者であったようだ。幽霊というもの全体を肯定するならば、中高年や高齢者の幽霊もまた出ないわけではないだろうが、何かの存在を感じて幽霊だろうかと考えたとき、若者ならばさぞ思い残すことがあっただろうという受け手側の思いにより、若年層を話題にさせやすくするのかもしれない。

 話を聞き、内容をまとめたのが現地で学ぶ学たち(しかもほとんどが震災当時に現地で高校生だった方々)であることから、地元の方々も口を開いてくださったのだろう。これほど繊細な問題で個々人から話を聞け、そして実際の掲載まで話が進むのは、なかなか可能なことではない。
 ひとりでも多くの人の目に、この本がたどり着けるように祈っている。
posted by mikimarche at 23:25| Comment(0) | 実用(歴史・文化)